これは「スポーツ=いいもの」と思っている人向けのメモかもしれない。
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スポーツには、興行主がいる。
その興行主と言えば、オールドメディアが目立つ。
言わずもがな、メディアは情報の発信者だ。
自分たちにとって都合の良い情報は目立たせ、不都合な情報は報道しないか、あるいは自分が追及されないようにミスリードを狙う。
※しかも、クロスオーナーシップを規制されていない
そんなところが、自分たちの興行に関する悪い情報を素直に流すとは考えにくい。
つまりは、必然的にスポーツはバイアスのかかった娯楽になる。
アスリートの怪我の克服は美談化され、死亡事故すら“亡き誰それに捧げる何々”にされ、感動エピソードに昇華される。
一方で、怪我によって人生を狂わされ、その後を棒に振った名もなき元アスリートはスルー。
ジャンルによっては短くなるアスリートの平均寿命もスルーし、運動は健康にいいという側面を強調する。
健康にいいのは適度な運動であって、スポーツは過度な運動だ。
特定の部位を酷使し、そこをダメにする例は山ほどある。
酒飲みが肝臓を壊せば、自業自得。
そんな奴が健康保険を使うのは、同じ健保に加入している者として納得がいかない。そんな声は上がるのに、勝手にスポーツして、怪我をする人には言わない。
なぜ?
そう洗脳されているから。
「スポーツ=いいもの」と思われていなければ、「私たち、何たらは何とかを応援しています」なんてCMは流れない。
二酸化炭素の排出削減に取り組んでいると言いながら、無駄に二酸化炭素を吐き出すアスリートを応援しているわけだ。
トレーニングせずに暮らしていた方が、二酸化炭素は削減できるのに。
それに、スポーツのイベント会場への移動やら何やら、そういうのはいいのかい?
でも、スポーツは……という擁護者の意見もあるでしょう。
スポーツを通じて心身ともに成長!
しているように見えますか?
そこら中に、部活動での“しごき”という名の暴力を正当化し、自分の若い頃は~と語る迷惑な人が育成されていませんか?
でも、うちは楽しむことを第一の活動だった!
ガチ勢とエンジョイ勢で揉めませんでした?
そういういざこざも含めて、学べる場だった!
そんなん、何処でも学べるでしょ?
それでも、運動部以外は採用したくない! 採用率は運動部が高い!
そういう価値基準を形成したのも、メディアの宣伝の結果では?
自分と同じ苦しみを味わったという認識で過大評価しているだけで、自分がした苦労は価値があると思って評価しているだけ。実際には、無駄な苦労に価値はない。
有能な社員に共通していたのは、最初の教育担当が優秀だったくらいしかないという研究データがありますよ?
スポーツが若さの秘訣!
オリンピックは平和の祭典、スポーツは平和の象徴!
1969年のサッカー戦争は、1969年7月14日から19日にかけて、エルサルバドルとホンジュラスの間で発生した武力衝突。この戦争は、1970 FIFAワールドカップ予選における両国の試合がきっかけとなり、両国間の国境問題や移民問題を背景に勃発したそうですよ?
でも、スポーツ選手が夢なんだ!
引退の平均が20歳代半ばという競技も少なくないから、その夢はすぐにさめますよ?
そこから、次の人生のキャリア形成ですか。大変ですね。
65歳まで働くとして、夢の代償としての40年間は長くない?
興行主は、そんな人の人生なんて、気にしちゃいないのに、無責任に盛り上げていると思わない?
コーチになるもん!
少子化で需要は先細り確定ですね。
何なら、興行主も縮小傾向です。
新聞は発行部数が減り、テレビ局も広告費でネットに追い抜かれ、頼みの綱は不動産。
羽振りのいいネット企業が興行主にならない限り、終わっていくスポーツもあるでしょう。
その筆頭は、1チームの人数が多い団体競技。人を集めるのが大変ですからね、子供が少ないと。
※ 新聞発行部数3000万部(4割減)、テレビ広告1.8兆円に対しネット3.3兆円(2024年)と。
スポーツは、経済効果が大きいんだ!
経済効果は、それによって動いた金額。
新札発行の経済効果は1.6兆円程度と試算されましたが、感じました?
それに、維持費などの負の側面は計上されないんですけど、これって意味のある数字に思える? 何かやりたい人の大義名分にするための数字に思えない?
でも、感動するんだ!
だから、何?
感動万能論ですか? その感動で何か変わった?
気分転換? 中には、ダラダラしている人が感動して、次の日もダラダラしているだけってこともないかい?
その感動に、何か意味があると?
一部の問題で、全体を語っている!
開票速報は、一部のデータから当選確実まで言い切っているじゃない。
統計がそういうもんなら、「一部の人ガー」で問題を矮小化する切り口こそ、問題じゃないの?
人が楽しんでいるんだから、悪く言うな!
好きなものの良い部分だけ見て、悪い部分を見ないのは、どうなの?
それ全体を好きだと言えるの?
まぁ、感情で話すタイプに話し合いは無理だろうけど。
でも、何かいい面もあるだろ!
ものごとは、良い面と悪い面をあわせもっているからね。
もしもスポーツがなかったら、脳筋のエネルギーのはけ口がなくなり、ロクでもないことに使っていたと仮定すれば、良い面もあったとなるんじゃない?
あとはまぁ、世の中は競争社会だから、日常的に争いごとをしていた方が……と擁護しようと思ったけど、日常的に争いごとをしていて、まともなメンタルが形成されるわけないね。
むしろ、人材としての機会損失の側面が大きい。
若い時期の膨大なリソースを犠牲にして得られるのが、意味のない勝ち負けの結果。
人類の発展に何ら寄与しない勝負の数字……。
スポーツを自発的に始めたのならまだしも、メディアの過剰な宣伝によって刷り込まれ、「いいもの」として無邪気なキッズが始めてしまう恐ろしさよ。
さらには、親が子にかつての夢を託しと書けばきれいだが、子供が別人格だと認識できない親の洗脳で、特定のスポーツを強制される子を見て楽しむとか、正気の沙汰じゃない。
メディアによって作られた人気、煽られたスポーツ熱。
そんなものによって、自発的に何かに興味を持つ機会を奪われた。
本来は、誰かの宣伝に影響されることなく、何かに興味を持ち、その道を突き進む予定だったのに……。
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デビアス社が、映画でのダイヤモンド利用をするまで、ダイヤは結婚指輪とは結びついていなかった。
結婚指輪としてのダイヤの価値は、デビアス社の宣伝によって生み出されたもの。
日本で言うなら、江戸時代に平賀源内が、夏に売れない鰻屋のために「土用丑の日に鰻を食べると良い」と提案した感じのプロモーション。
そういった宣伝の上に、今までになかった価値が創造され、同時に問題も発生している。
同じ日に、同じものを食うのは、特定の分野への過剰生産、労働過多を招いてよくない。それと似たようなことが、宣伝ビジネスにはつきものだ。
原点に立ち返れば、スポーツは腹が減るだけで意味がない運動である。
「腹減るだけ 意味ない」最貧国で野球に夢を抱いた青年が北海道へ 野球とパンとスポーツクラブ アフリカで夢をかなえるため
そう思わないのは、その腹が減るだけで意味がない運動で稼ぐ人があらわれたから。
なぜ、稼げるのかと言えば、多くの人が見ることによって宣伝効果が生まれ、目立たせ料金としての収入が確保できる点にある。
しかし、そこにはプラスの目立たせ効果しかダメだという前提がある。
悪目立ちでは、目立たせた意味がない。
良い感じで目立ってこそ、自社のサービスや商品が売れるというもの。
そういう意味で、いくら特定のスポーツ能力に秀でていても、悪目立ちがすぎる存在は煙たがれるわけだ。
つまるところ、スポーツマンシップとは、広告塔マナーといって差し支えない。
また、これが悪いイメージがついたスポーツが衰退していく理由でもある。
良い意味で目立てるか。ただ、それだけ。
たまに勘違いして、悪目立ちも視聴率とばかりに、変な芸のない芸能人を担ぎだすけど。
いいから、お前を論破させろ!
人間は無駄なことをする生き物だとか、人生は暇つぶしだとかいう論点が効果的。
それでも、実態以上に美化された宣伝は擁護できないけど。
娯楽なら、娯楽らしく、程度をわきまえて存在してほしいもの。
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ヤラセ番組、ジャニーズ、オウム、女子アナ接待、ワンダフル、毎日デイリーニューズWaiWai問題、朝日新聞珊瑚記事捏造事件、吉田調書……。
そういった問題点を挙げ、マスゴミ批判している人も、彼らの興行であるスポーツで一喜一憂している姿を見ると、ちょっと可笑しくなる自分がいる。
ふぅ~、久しぶりにアンチ・スポーツ系の文章を書いた。