「東京オリンピック・パラリンピックを開催して、スポーツ振興を図ることは国民の健康にもつながる。『開催しない』という考えを聞いてみたいくらいだ」
目についた記事の中から、1点に注目。
『国民の健康にもつながる』
これを広げます。
物事には、メリットとデメリットがあります。
なのに、メリットしか語られないケースがある。
その一例が、スポーツじゃないでしょうか?
過剰なスポーツ信仰。
プラスな側面しかないようなポジティブ・イメージ強調。
そして、スポーツなしに健康は語れないような言いっぷり……。
言い過ぎですかね?
まぁ、何というか、疑いの目を向ける一例としての「アスリートが出す二酸化炭素」という指摘です。
* * *
吸う息の時は、「酸素が20.94% 二酸化炭素が0.03%」
吐く息の時は、「酸素が16.44% 二酸化炭素が3.84%」
以上の点から、「二酸化炭素の排出量を気にしている」のなら、「推奨すべきでない活動」となります。
* * *
次に、健康面でのデメリット。
適度な運動は免疫力をアップさせますが、激しい運動はかえって免疫力を低下させます。マラソンなどの強度の強い運動をした人は、しなかった人に比べて運動後に上気道感染症(風邪)にかかる率が2~6倍増加したという報告もあります
これは、唾液中のIgA量に関係しているとか。
IgAは、免疫グロブリンA(Immunoglobulin A)の略。
下のリンクは、定期的な運動の良さを指摘する論文。たぶん。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5911985/
こういう研究には反論がつきもの。
一方の意見だけを取り上げるのはフェアじゃないで、軽く紹介。
まぁ、コーヒーは体にいい説と、悪い説があるようなもの。
健康絡みの調査って、長期間で見ないといけないし、他の要因も多く関わってくるので、否定も肯定もしづらいんですけどね。
* * *
なので、肉体的なデメリットに移ります。
そのスポーツ特有の体型が求められることで、健康状態が悪化するケースもあるでしょう。
わかりやすいのは、相撲。
明らかに肥満です。
あの体重を支える……。
そう考えただけで、節々への過度な負担が想像できるでしょう。
相撲に限らず、スポーツの多くは特定の箇所を酷使するもの。
野球のピッチャーは肩や肘を壊し、大きなボールを使う競技では突き指、格闘技は骨折や捻挫……。
そりゃもう、スポーツ整形外科ができるくらいの害悪っぷり。
ダメージを負うために、スポーツをしているとしか思えない。
それで、国民の健康?
本当に?
どちらかというと、健康を害しているのでは?
* * *
健康の為の運動をするなら、体操やウォーキングくらいでいい。
その辺が適度なレベル。たぶん。
「でも、競技を通して人体に関する科学の……」
そう言うのであれば、より調査しやすいスポーツを考案した方がいい。
「スポーツは人を感動させ、勇気をくれる」
その辺のエンタメでも、似たような感想を聞きます。
ところで、この手の勇気に価値はあるのでしょうか?
勇気前、勇気後で、その人の行動は何か変わっているのか……。
相変わらず、テレビの前で何かを見ているだけじゃないのか?
といったことを考えたというメモです。
あとは、オマケ。
* * *
『運動時の乳酸生成によるCO2過剰排出と持久性パフォーマンスの関係』
気が向いたら、チェックしてみよう。
プレスリリース「宮本勝浩名誉教授が試算。東京オリンピック・パラリンピックが簡素化された時に失われる経済効果」を配信
経済効果って、どういう計算しているかチェックされずに、数字だけ語られるよね。
まるで、その数値が粗利であるかのように。
その額が動くってだけで、イベントを実施したい側が作っていたりして、なかなかにたちが悪いことも……。
ちなみに、上のリンクは「阪神が優勝した場合の経済効果」の人だったかな。
ふと、上の記事を書いた時に「広告業としての通信キャリア」も書きたかったなと……。
スマホの画面に広告枠。
そこに企業が広告を出し、通信キャリアは広告料金を取り、それを収益に当てることで、安いプランを提供する。
スマホなんて、もっともパーソナライズ化された広告を出せる媒体の1つだと思うんだけど。
「うまくいかない」のを「誰かのせい」にしたいだけの文句ってあるよね。
どこかに悪者を見出し、それを叩いても、正義の味方にはなれない。
いや、もしかしたら、正義は、それ自体が悪かもしれない。
ダメな奴のダメな行動を真似して、「みんな、やってるし」って何だろう?
それが問題になっても「みんな、やってたから」という理由。
主体性が無いのか、言い訳が下手なのか……。
でもって、決まって最後には「こんなことには、なると思っていなかった」と言う。
「何とかなる」と思っている人は、「何とかしている人」に気づいていない。