メモ書き

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予想を書いてハズれたら、それに言及すべきか

例えば、

「2021年1月5日は、波乱の日になる」

みたいなことを書いたとして、それがハズれたら「ハズれました」とか、書いた方がいいのかな?
そんなことを考えたという話。

雑文であっても、「ああなる」「こうすべき」とか書いておいて、その後に触れないのは無責任かなぁ~とか。
検証した方が「予想」の精度を上げられるとか。
言うなれば、「なぜ、その株を買ったのか」「その後、どうだったのか」みたいな学習になって……。

う~ん、なんか違うな。
そもそも、たいして読まれていないブログなら、責任も何もって感じですよね。
自分しか読んでないようなものだし……。

予想の精度と言っても、私自身のレベルみたいなものが低いのであれば、その効果にも疑問符がつくところ。
下手の横好きじゃないですが、評価できるレベルにない者が、何かを評価したところで「判断の過ち」が繰り返されるだけ……。

そうなると、せいぜい「振り返る」くらいの内容になりそうですね。
それなら、過去記事を見て、一人で反省して終わり。それでいい気も……。

多くの人に知られている人の記事であれば、自ら検証しなくても、「アイツ、前は こんなこと言ってたぜ」とか、「当たらない」みたいに言われるんでしょう。
中には予想を曲解したり、前提条件を無視したりすることもあるでしょうが、本人が言及しなくても、勝手に言及する人が現れるのは変わらない。

そうなると、ある意味での「言及」が必要なくなって……。
もちろん、言及している側のレベルが低く、的外れしかないのであれば、やはりレベルの高い「言及」が求められるところ。

* * *

「予想を書いてハズれたら、それに言及すべきか」

この問いに対して、どんな立場であっても「別に、やらんでも」という答えになってしまいました。

ただ、そうですね……。

「2021年は、こうなるッ!」的な記事は多いけど、それ検証した記事を書く人は少ない。
動画でアップする人の中には、たまに検証動画をあげる人を見る……。

この状況を見比べたとき、動画側の人に好感を抱きやすいですね。

「過去の過ち」と向き合う姿勢が、評価ポイントです。

動画だと、コメント欄を開放していれば「ハズレたやないか」というダイレクトな突っ込みがあるので、他媒体の言及より容赦がない点で評価に繋がるかも……。
同情的にね。

* * *

動画で思い出しましたが、割と根拠なく話している人って、いますよね。
「私、こんな目に遭ったんですよ」といっても、それを証明するものは何もなく、ただのホラ話である可能性が否定できない……。
いや、ピンポイントでMUPカレッジを指摘しているわけじゃないですよ?

話を戻し、

「2021年1月5日は、波乱の日になる」

と言ったとして、その根拠に

をチョイス。
この場合、何がどう作用するかを予想し、振り返るときは「どう予想に反したのか」をチェックする……。

こっちの方が、根拠のない話を検証するよりは建設的。
具体的な根拠のない「こうなる」「ああなる」予想は、言及しても得るものが無い。

なので、せめて言及しがいのある「予想」を書いた方がいいんだろうなと思ったというメモでした。