メモ書き

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「頑張っているんだから、悪く言うな」という理由が嫌だ

「頑張っているんだから、悪く言うな」

たまに聞く批判理由。
「あの人、頑張っているのに、悪く言うなんて酷い」という内容。

極論を言えば、「頑張っている」が免罪符になり得るなら、「犯罪を頑張っている人」も批判できない。
おかしな理屈。

でも、割と使われている気がする。
その理由は、なんだろう?

頑張っている姿に共感しているから?

それもあるでしょうが、ほかに理由が思いつかないのかも。
考えたくないことの言い訳に「仕方ない」を使うようなもの。

頑張っている……。

それが仕事であれば、ある程度 頑張るのは当たり前。
頑張りの代償が給与だもの。

仕事がどうとか関係ないか、単純に「好きな存在」を擁護したいだけ。
そんなところでしょう。

* * *

犯罪では極論過ぎるので、スポーツ選手を例にしてみます。

「オリンピックを中止にするなんて、頑張っている選手がかわいそう」

さて、これにどう反論するか。

「こんな状況で開催したら、感染者が……」
「ボランティア奴隷が……」
「そのために使われる費用が……」

そういった指摘に対して、

「一生懸命に練習してきたスポーツ選手は悪くないのに、なんで そんなことを言うの?」

といった論点の違う反論が待っているかも。

これに対し、

「何千人かのスポーツ選手のために、億単位の人間が犠牲になっていい理屈はない」

と言ったところで、

「人数の問題ではない。誰かが不幸になる選択肢は、避けなくてはいけない」

というドリーム回答が待っているでしょう。
具体策はないのに。

* * *

スポーツ人口が減ってくのに、その施設の維持に金を使うの?
スポーツしない人が、その維持費を負担するの?
そんなにスポーツが要るなら、スポーツ税でも取れよ。
健康のため? ケガする人多いでしょ。
身体動かすなら、もっと自然な動きをするべき。

といった話は置いておくとして、「なぜ、この理由が嫌いなのか」を自分の胸に問いかけてみます。
気持ちの整理のために。

* * *

う~ん、思考停止状態だからでしょうね。

「頑張っていれば、OK」という姿勢そのもの。
この思考停止っぷりが解せない。

「頑張り」は「結果」じゃない。

プロセス重視思考を全面的に否定する気はないですが、「頑張り」を「目的」にしてはいけない。
「頑張り」に満足しては、「結果」には繋がらない。
あくまで「満足」するのは「結果」であり、その「過程」ではない。

でなければ、費やした時間を美化し、それを「価値があったもの」としてしまう。
無価値であっても……。

そういう心理がサンクコストを生む。

「部長、今回の資料のデータ、すべて電卓を使って出しました」
「偉い。最近の若いのは、エクセルでパパっとやってズルい。それに比べ、お前は昔ながらの方法で実に素晴らしい。なかなかの努力っぷりだ」
「ちなみに、計算結果はエクセルと同じでした」

* * *

まぁ、時には「頑張った」という慰めも必要でしょうね。