メモ書き

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恐怖は、無知から来る

ドキュメンタリー『トルコ大統領選 あぶり出された少数派の声』の感想です。

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印象的なのは、冒頭に持ってこられた発言。

「危険なのは不信仰者です。信仰する人々は危険ではない」

これは「イスラムのリーダーであるエルドアンは危険では?」という質問に対する敬虔なイスラム教徒の答え。

有権者のほとんどは、クルチダルオール氏という未知数の民主派ではなく、経験豊富な独裁者に投票したのだ。

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トルコという国はイスラム教を信仰している国の中でも、何というか緩い。酒を飲むとか、スカーフしないとか、そういう意味での緩さ。
それはまぁ、建国の経緯から来るものなんだけど、その辺の事情にも少し触れていたので、今になって少し感心している。

タイトルを見て「少数派の声を聴け」と、サイレントマジョリティーを無視し、声のデカい少数派を担ぎ上げる薄い内容を想像していたので……。

ここで出てくる少数派は、イスラム教の中での少数派、性的な意味での少数派、厳格な田舎の宗教観という少数派、そしてクルド人
番組的な結論は、出演してくれた人たちは誰かの自由を制限したいのではなく、彼らの自由が欲しいのだという感じ。

じゃ、お前の結論はって? 次のような感じかな。

att3200.hatenablog.com


個人的には、謝肉祭で一頭の牛が肉になり、秤を使って均等に分け、配られる光景を撮ったことに何かこう、番組としての重みが増した気がしました。

で、冒頭の言葉。

それを振り返るに、知らないことは怖いことなのだなと再認識。
人は知らないから恐れ、敬遠し、攻撃的になるのでしょう。知らないものは、信じられないからね。

そういう視点で見ると、宗教は他者の理解促進に繋がる。

「あの人は、これを信じているから、これに関しては反対しないだろう。逆に、これに関しては拒絶するだろう」

この相手への理解を深める要素として、宗教がある。
信じているものを知ることで、何に重きを置いて生きているのかわかる。
思想信条のカテゴリー区分として、宗教や宗派があるとしたら……。

逆に、知らない宗教を信じている相手だと、その宗教が何を重んじているか わからないから、理解が進まずに未知という恐怖だけが広がっていく。

それは宗教に限った話ではなく、日本の職場にも通じること。
例えば、技術職と営業職では知識の前提が違うし、仕事の進め方も違う。
営業職から見れば社内SEあたりはパソコンをカチャカチャやってるだけの楽な仕事みたいな印象かもしれないし、社内作業の多い技術職からすれば営業は外でサボっているという認識かもしれない。あと、ものを売るだけの販売員だと思っている可能性もある。
なもんで、互いの作業や苦労を知らないから、相手の作業に対する誤解も生じやすいし、互いの価値を認めづらい……。

で、それが極まれば、鉄のカーテンの向こう……となるわけだ。

実際、信じるものが違えば、理解しあえないのは仕方がない。
自分と同じものを信じていないだけでも、相容れない存在だもの。

だから、猫好きに悪い人はいないとか、統計的なデータもない根拠を持ち出し、相手を知らない恐怖を麻痺させ、無理やりにでも仲良くなっていく……。
それこそ、営業マンが客に出身や好きなスポーツを聞き、「自分もなんですよ」といって話を広げていくみたいに。

ってことを書いていたら、狩猟で暮らしていたころの人類が何に恐怖していたのかを考えたくなった。


でもって、同時期に見たドキュメンタリーのワンシーンを思い出した。
緑内障でバスの運転手を辞めることになり、無職で金に困っている人が、番組スタッフに串焼きをおごるシーン。
この食事を分け合う姿って、狩猟で暮らしていた頃からあったんだろうなと思うと、謝肉祭の秤のシーンともども、何かの原点を見せつけられている気がしないでもない。

しかし、プラウに使ってる米は細長いな。

 

異国の地のアフガニスタン食堂で

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