メモ書き

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「信教の自由」は、幻想である

信教の自由とは、宗教を信じ、信じない自由のことで、憲法20条1項前段において、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」と規定されています。

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宗教は冠婚葬祭に絡んでいるので、信じたくなくても儀式に付き合わされる。
その時点で、どうなのよ……。

「俺、信じてないんで、葬式出ません」なんて言えないもの。

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一方で、ある宗教を信仰したとして、そこに他の宗教を否定する戒律があったとします。
「俺の教えだけを信じろ」じゃないと、他の教えと矛盾しますからね。何より、権益も……。

理由はさておき、信じるべき唯一の宗教を名乗っている。

ってことは、その宗教は「信教の自由」に反しているわけです。他の教えを禁じているので。
これにより、「信教の自由」に反している宗教を信仰する自由はあるってことに。
……何ですか、これ?

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熱心な信者は「宗教」>「法律」という解釈で動くので、他の人からしたら厄介なダブルスタンダード
国としても、勝手なルールを持ち込まれ、運営しづらい感じ?

ぶっちゃけ、なくなったら関係者は困るんでしょうけど、100年後の先の未来から見れば、「なくしてくれて、ありがとう」かもしれない。

今の犠牲を避けるか、将来の永続的な犠牲を避けるか……。
この問いに、人類は答え続けてきたのかも。

中には、「あの戦いは悲惨だったけど、有耶無耶にせずに決着できたから、その後の問題は残らなかった」みたいなこともあるかもね。
よくわからない停戦状態が続く国からすれば。

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飲酒戒とは、在家信者の保つべき「五戒」「八斎戒」などのうちの一項目、あるいは出家修行者の律の一条項で、穀物種であれ果実酒であれどのような酒類でも、これを飲むことを戒めたものです。ちなみに、出家修行者の場合は、戒められているのではなく、禁止されています。

仏教徒であれば、酒は飲むべきものではなく、僧侶であれば、決して飲んではならないものです。

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こういう話を書くと、東南アジア史を学んだ時の雑談を思い出す。

タイの僧侶が日本の坊さんを見て否定的な感じ内容の……。

向こうからしたら、酒を飲んで、風俗に行って、修業はどこ行った? なのかもね。