メモ書き

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「あの人の言うことなら間違いない」は、「調べたくない」から生まれる

「〇〇で有名な××さんが言ってたし、間違いない」
「××が言うんだから、これはこうだよ」
「専門家の××が言うんだから、こうだろ」

そんな感じで、持ち上げられている誰かの発言を根拠に、さも それが唯一の正解であるかのように振る舞っている人を見ることがあります。

いわゆる信者のそれ。

私も人のことを言えた義理ではなく、あとで「もう少し調べれば、よかったな」と思う言動も……。
まぁ、そう思えるように、こんなメモを残しているんですけどね。

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で、その信者を生み出すメカニズムとして、「楽をしたい欲求」があるんじゃないかな?

結局のところ、信者になる最大のメリットは、「考えなくていい」に尽きる気がします。

「これを信じていれば、間違いない」というのは、自分で調べたり、考えたりして、答えを探す行為の放棄です。
迷いを捨て去った末に手に入れた思考放棄の境地。
嫌な言い方をすれば、意志の喪失。
でもって、他者依存。

「人に愚かだと思われたくない」から、「愚かに見えない選択肢を選びたい」けど、「判断するのが面倒」だったり、「判断能力が微妙」だったりする……。

だから、賢そうな誰かを信じ、その言動のコピーすることで、同じラインに立った気でいるもんだから、信仰対象である教祖様が過ちを犯しても、それを認められない。認めてはいけない。
その反発の強さが、妙な理屈で教祖を庇ったり、批判者を貶めることに繋がっている……。

彼らの根底にあるのは教祖への忠誠心ではなく、「あの人を信じていた私がバカだった」と思いたくないという個人的な都合。
そして、「考えなくていい」理由を失わないため。

* * *

「調べたくない」が信仰の基礎なら、そりゃ突っ込み不在になりやすい。
そこへ、通りすがりのデータ至上主義者なんかが突っ込んだら、信者が感情至上主義になって、「お気持ち」を前面に出してくるのかも。

その行きつく先は、問題提起と言いつつ、他人を攻撃するだけの人。

こうして考えてみると、日本人は「リスクを取らないのが美徳」みたいな印象だったけど、実際には思考放棄のリスクに気づかず、リターンの少ないリスクを取っているケースが多いようにも……。