久しぶりに「一億総評論家」という単語を目にし、「あっ」と思ったという話です。
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たいして詳しくない分野でも、自信満々に「こうだ! XXは間違っている!」と断言する人を目にする機会が増えました。
「たいして詳しくない分野」だとわかるのは、語っている分野が多岐にわたる上に、内容が明らかに間違っているから……。この場合の内容は、調べれば わかる類のこと。
例えるなら、プロフィールに未成年の学生とあるのに、サラリーマンの苦労とか、転職についてとか語っちゃうレベルの門外漢っぷり。
誰にでも知識の穴はあるでしょうから、特定の箇所だけスッポリ抜け落ちていて、ミスすることもあるでしょう。
だからこそ、「もしかしたら、自分が間違っているかも」という可能性を考慮し、断言は避けたいと思うもの……。
いや、そう思うのは少数派かもしれない。
ダニングクルーガー効果みたいなソレを思えば。
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で、そんな初心者ゆえの自信過剰で“知ったかぶり”SNS投稿をし、「いいね」を集めてしまったら大変。
さらなる“勘違い”を生むには、充分な理由となるでしょう。
こんなに「いいね」を集められる自分は、間違っていない。
そう思ってしまったら最後、誰かが親切で指摘する“正解”が“不正解”に思え、「正さねば」という心境になってくる……。
気づけば、「俺は、その道の大家だ」と言わんばかりの態度になり、最終的には「俺がルールブックだ」になるかもしれません。
しかし、誰が「いいね」をくれたのかを思えば、その価値の怪しさに気づくというもの。
何か専門的な投稿をしたとして、そこに集まった「いいね」は専門家のものなのか?
そう考えれば、大半の賛同者は「その道のプロ」ではなく、その辺にいる「素人」だと気づくでしょう。
専門家しか見ていないアカウントでない限り、万単位の「いいね」の中身は「素人の投票」です。
どんな素人かと言えば、「いいね」を押す時間があり、その時間帯にSNSをしている人であり、話題を求めている人……。もしかしたら、SNS依存症?
どうです? 評価すべき「数」でしょうか?
きっと、深く考えずに「いいね」している人がいますよ。
内容の正否も確認せずに、自分にとって不快な存在を貶しているから「いいね」というケースも少なくないでしょう。
逆に、自分にとって好きな存在を貶されたら、その好きな存在が過ちを犯していたとしても、感情任せに突撃してくるかもしれません。
「わかりやすいは正義」とばかりに、「処理の流暢性」が勝利する内容もあるでしょう。
これじゃ「評論家」ですらない……。
どこにも「評論」がないもの。
「一億総評論家」が高尚な単語にすら思えてきます。
そんな「評論家もどき」の評価が「いいね」で決まるとすれば、「いいね」の「多さ」を正しさの指標のように捉え、過ちが強化されていくケースもあるでしょう。
その脅威に思いを馳せたというメモですね。
結局のところ、それはSNSという感情ブースターで加速された何かでしかない。
いずれ、加速がつきすぎてレールから外れ、飛ばされた先で壁にぶつかる……。
その壁には「現実」と書かれているかもしれません。
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テレビで、一億総白痴化――
テレビで誰かが言ったことを 自分の意見にしているような人も見ます。
主義主張のカーボンコピー。
それを「知能の程度がきわめて低い」と言えなくもない……。
とはいえ、テレビの中でコメンテーターなる謎職業の人が、どんな話題にも意見をしている姿を見れば、評論家の真似事をして何にでも口を出す人も増えるというもの。
なんでも、人はマネしたがるものですから。
その“流れ”で投稿を見ると、まだまだカーボンコピーは多いかなと。
たまに、不適切な記事に「不適切だ」と書いていて、双方向な媒体なんだなと気づかされますが……。
という感想です。
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以下は、おまけ。
チラッと目に入ったニュース番組のやりとり。
野党の議員「テレビがモリカケしか報じないから、野党は予算審議でそれをやる。他では違う質問をしても、取り上げないじゃないですか」
テレビ側「いやいや、あなたたちが……」
報道されないと存在意義が薄れるようですね……。
ふと、「政権を取ってないから評価できない」主張を思い出しました。
「今、何を問うのが、国民にとって最優先か」を考えれば、評価の仕様も充分にあると思わないでも……。
そもそも、有事にあたっては協力し合うという道もね。
今日28日の定例会見に関する党広報の記事です。
— 枝野幸男 立憲民主党 (@edanoyukio0531) 2021年4月28日
「国が直接乗り出すならば、むしろ検査の拡大に乗り出すべき」ワクチンの大規模接種センター設置に枝野代表 https://t.co/HagVq5J0qK #立憲民主党
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悪いニュースが出るたびに大騒ぎする気持ちは わからないでもないけど、「政治」に何か変化があったからって、一日で状況が好転することはない。
誰がトップになろうと、愚者が賢者に代わったりしないように、そこにある問題はあり続ける。
なのに、「政治」の変化でバラ色を歌うのは、その変化で利益を得たい人たちだから。
あるいは、単に信者だから。
選挙活動の一環として、日々のニュースに感想をつけ、支持している政党に引き入れようとする……。
どこぞの政党なんかは、フォロワー第一号が党首という学生アカウントを……という話も見ましたね。
評価に関しては、他国の状況を見て、自国を見る。
冷静にデータから読み取る。そう自分に言い聞かせるために、これを書いているのかも。
事実を反映したデータは、軽視すべきではないもの。