先に書いておきますが、これは「もしも」を考える話であって、何らかの差別を促すものでは ありません。
もしも、“あの人”が卒業式に出ていたら……
決して広くない体育館に、生徒や父兄が集合。
そして、歌う。
ライブイベントに自粛を促す一方で、歌う。
感染拡大したライブハウスのように……。
いやいや、感染の自覚があるなら、卒業式には出ないと思うかもしれません。
でも、発熱しても旅行に行った人はいますし、何なら感染したことを吹聴してまわった人もいる。
一生に一度のわが子の式だからこそ、出てしまうかもしれません。
そんな人が出席すれば、上の画像のジム枠を超えるレベルで広がるでしょう。
「若い人が感染源」みたいな切り取り方をしたメディアもあるそうですが、自覚症状が出ない若い人が多いので、感染しても気づかないが故の話だと、私は理解しています。
自分が気づかぬうちに感染源になっていたら、その後が辛いですね……。
* * *
こういうリスクがあるとしても、何かをやって起こった不都合と、やらなかった場合のリスクでは、前者の方に目が行きがちです。
「もしも」を考える人は、たぶん 少ない……。
報じられるのが「何かをやって起こった不都合」ばかりなので、そうもなるでしょう。
例えば、レポーターが学生や児童に次のようなインタビューをします。
「卒業式、したかったですよね?」
「みんなと、きちんとお別れしたかったですよね?」
そりゃ、結構な人が「はい」って言いますよ。
説明したところで、状況を理解できそうにない年齢の子にも訊いている辺りがミソですね。
こうして、“卒業式ができなかったかわいそうな子”として映すことで、例の要請が卒業式を取り上げたと演出。
使われない給食の食材、急な対応に追われて大変な先生、学童保育……。
そして始まる政権批判。
いつも政権批判している局にとっては、ただの批判用の素材なんですよね。
* * *
知人の中には、急な要請にキレてる人もいました。
わからなくは ないです。
自分の生活スケジュールに対し、急な変更を余儀なくされれば、先に苛立ちが来るでしょう。
大変な思いをすることになった人に同情するほどに、急な要請には腹が立つ……。
で、「不満に思う人が身近に多い」から、「これは間違った指示だ」という判断を下す。
これが、よく見る政治の見方かもしれません。
人は、自分のわかる範囲内で、物事を判断します。
経済知識に乏しい人は、経済政策は評価できないので、スルーするか、誰かの意見を自分の意見としてコピーするでしょう。
軍事に詳しくない人は、軍備イコール悪と判断するか、スルーするか、誰かの意見を自分の意見としてコピーするでしょう。
転売ヤーを憎んでいる人は、転売対策を評価し、転売で稼ごうとした人は、対策を指示した人を支持しないでしょう。
詳しくない分野では判断しづらいので、知っている範囲内で評価を下す。たぶん、私もそう。
今までにないウイルスなんて、誰にとっても判断が難しいところ。
その点、失言は「誰でもわかる」ので、多くの人にとって評価対象になります。
だから、致命的になる。
失言は伝えやすい内容なので、それを期待し、狙っているんじゃないかとさえ思います。
対象者をわざと怒らせ、それっぽい言葉を引き出すくらいに……。
それと同じくらい、“困っている人の絵”は効果的です。
でも、その“光景だけ”で判断していいのでしょうか?
例えば、豊作だから廃棄される野菜を見て、「とにかく、市場に出せ」と言ってしまう。
価格弾力性を説明せずに伝えると、そういう見方になるものです。
なので、「もしも」を考えてみます。
比較対象もないまま、判断を下すのは違う気がするので。
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「不満に思う人が身近に多い」から、「これは間違った指示だ」という風に考えることはあっても、「どうすれば、よかったのか?」は、なかなか考えてもらえません。
要請しなかったら、予定通りのスケジュール進行で、先のようなことが起こっていた可能性があります。
そうなると、キレていた知人は、「なんで、強制的にでも休校にしなかったんだ」と言う気がします。
そういう人なんで……。
「もっと前に打診してから実行すれば……」
そうなったら、今度は先生方や教育委員会あたりで揉めて、後手後手に回ったかもしれません。
酷いところでは、「いじめ」を隠ぺいするように、「感染」の隠ぺいを話し合って結論がでないかもしれませんし、職員の団体が支持する政党が出しゃばってきたかも……。
もし、それがうまく機能しても、トイレットペーパー騒動を見る限り、別の問題が起こったと思う方が自然かも。
家にトイレットペーパーがないから、こっそり学校から持って来いと指示を出す親が出てくる……。
でもって、誰かのカバンからトイレットペーパーが出てきて、学級会が開かれるわけですよ。
給食費の盗難のように……。
さらに、「アイツ、感染してんじゃね?」という疑問形が独り歩きし、「アイツは感染者だ」となり、ばい菌扱いということも……。
医療関係者でも起こるくらいですしね。
そうなると、対処に困った先生が「なんで、強制的にでも休校にしなかったんだ」という……以下略。
何が言いたいのかというと、「何をしても、文句を言う人は出るし、何もしなくても言われる」ということ。
どっちにしろ、誰もが満足する答えなんて、望めやしない。
どこかに被害が出るもの。
その被害を見比べてはじめて、「これは間違った指示だ」と言えるのではないか。
そんな話です。
もちろん、問題は現在進行形なんで、反省会を開くよりも、できることをしていくのがベターでしょう。
ただ、反省会を開く際には、日本と異なる対策を用いた国をチェックして初めて、妥当な判断が下せるのではないでしょうか。一帯一路のルート上にあるか否か、国による違いがあるとはいえ、比較対象がないよりマシです。
イタリアやアメリカのクルーズ船の受け入れ。
他国の検査方法……。
どんな対策をしたところも功を奏し、犠牲者が少ないのがベストですけどね。
まぁ、こんなことを書いたところで、思っているのは「早くおさまればいいな」という よくある願いですけども。
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【オマケ】
決定までに時間がかかっていること。
それを「遅い」とも見れますし、「一人が大きな権限を独占していない証」とも見れる。
見方というのは、不思議なもんですね。
あと、巣ごもりが長引き、ライフスタイルが変われば、騒動がおさまっても消費スタイルは変わったまま。
そういう可能性も多分にあるでしょうから、「元に戻る」と思わない方がいいのかも。
自宅にいる時間が増え、それキッカケでオタクになったら、しばらくオタクですよ。きっと。
【メモ】
「あの人、本当に医師かな?」と思ったら。