実は、学問バブルじゃないか。
そんなメモ。
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何をもってして、学問と認めるのか。
何をもってして、学ぶ価値があると決めるのか。
それを見誤ると、無駄がさらなる無駄を呼び、次の世代へ無駄が託されていく……。
このループは「セカンドキャリア問題」に近いかも。
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例として、マシュマロ問題を出してみます。
マシュマロ実験は、「目先の利益よりも、将来的な利益を優先できるか」を検証したと言われている実験です。
被験者は子どもで、目先の利益はマシュマロ1個、将来的な利益は2個目のマシュマロ。その内容は、何もない部屋で一人にされ、そこにはマシュマロが1個あって食べてもOKだけど、数分後に実験者が戻ってくるまで食べなかったら、2個目を貰えるというもの。
前に書いたときにアレコレ書いていますが、大前提として「マシュマロは、報酬」でなくては成り立ちません。
つまり、マシュマロが嫌いな子は、実験に適していない。
だって、報酬にならないもの。
嫌いじゃなかったとしても、マシュマロよりも時間が貴重であれば、報酬にはならないでしょう。
だって、時間を失う要因だもの。
そういったことを踏まえれば、被験者としての適性検査云々の話が出てきていいはず。
でも、実験の性質上 何を調べているのか、わからないように……とくれば、役に立たない調査をしているに過ぎない。
こんな独特の仮定のもとで「何かしました」という行為に価値があるとでも?
大学で高い金を払って学ぶ価値があるとでも?
こういうのを一度でも認めてしまえば、その道の専門家を食わせるために学生という新たな犠牲者が生み出され、その学生から新たな専門家が生まれて……。
この無駄のループ。
そして、その多さに学問バブルを感じるわけです。
まぁ、それだけ「するべき仕事」とやらが少なくなり、無駄なことして働いた気になる社会になったと言えなくもないような……。
でも、大卒じゃないと~……。
そう言って変な大学で無駄な四年間を過ごし、無駄に年を取ってから職場に入る。
勿体ない。
足切り目的の学歴であるなら、入学時の点数だけあればいい。そこで無駄な四年間を過ごしたら大卒、途中で辞めたら中退なんて状態なら……以下略。
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そう、前提を間違えば、その先にある結果も間違い。
マシュマロが報酬という前提が崩れたら、実験の結果に意味が無いように、あらゆる考察も前提が崩れた時点で意味が無い。
マルクスは、そうは考えませんでした。商品の値段は、使用価値ではなく、価値で決まると考えたのです。つまり、「どれだけ労力をかけてつくったか」で値段が決まる、「労力をかければかけるほど(価値が大きくなればなるほど)、値段が上がっていく」と考えたのです。
オナラの労力って?
土台が間違ったものを学び続ける弊害。
学ぶ価値の再考。
歴史的書物のカテゴライズ&ランク付けが、必要じゃないでしょうか。
例えば、「当時の考え方を知るだけの書物」「現代にも通じる内容」「オカルト本」「古代のエッセイ」などなど。
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無駄な学びの怖いところは、そこに価値を見出してしまうこと。
それこそ労力が伴えば、価値があると錯覚してしまう愚かしさ。
間違った公式を100覚えたところで、1つも役に立ちはしない。
無駄な労力は、無駄でしかない。
無駄じゃなかったと信じたい気持ちは、サンクコストの素。
その無駄さを信じたくないあまり、自分の学習ジャンルの価値を高めようと、あの手この手に打って出る。
その結果の偽りの評価。
あるいは、学問という“箔”によって何かを正当化したい人、商売に使いたい人のネタとなり、学問の域を出た何かへと変わっていく。
そこにあるのが「学問の罪」という話。
社会のミスリードこそ、無駄な学問の真骨頂……。
真っ当な見方では評価しえないものが、その価値を高めるには、見る者の価値観を歪ませるしかない。
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【おまけ】
中国 国防大学
劉明福 教授「中国の国力がアメリカを超え、アメリカが西太平洋から東太平洋に後退するまで、それほど時間はかからないだろう」
同氏の『強軍の夢』より。
「中国が国家の主権を堅く守り国家の統一をはかり民族の復興を実現する主戦場は海洋である」
「海洋を制する者が世界を制する」