マシュマロ実験は、「目先の利益よりも、将来的な利益を優先できるか」を検証したと言われている実験です。
被験者は子どもで、目先の利益はマシュマロ1個、将来的な利益は2個目のマシュマロ。
その内容は、何もない部屋で一人にされ、そこにはマシュマロが1個あって食べてもOKだけど、数分後に実験者が戻ってくるまで食べなかったら、2個目を貰えるというもの。
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実験なので、再現性も検証されるわけです。
その際には、子どもの経済的な状況が影響しているといった指摘があったとか……。
と、言うかですよ?
それ以前に、被験者と実験者の信頼関係は、ガン無視でいいの?
よく知らない奴に「2個目を約束しよう」と言われ、それを信じるのは生物として正しいの?
ついでに言うなら、そんな変なことをするヤツが提供する食い物って、怪しすぎないのかっていう……。
つまりは、警戒心が強い子どもというか、そうならざるを得ない環境で育った子には、自制心ではなく「気のゆるみのテスト」にしかならない。
ある意味、利発な子ほど1個目すら手を付けないじゃないかという……。
こういった心理学系の実験は、他の可能性を否定できない以上、何も検証できていないのでは?
言ってしまえば、そんな話。
「今、100万円をもらえます。でも、10年待てば101万円をもらえます。どうしますか?」
といった質問と大差ない。
圧倒的な判断材料の不足ってことですよ。
上記の例でいうなら、金利という情報が一切出てこない。
複利の有り無しもない。
実験で不足している判断材料は、被験者の情報です。
同じ食い物に関する実験であっても、その食い物に対する経験は、人によって違います。
その人の意思決定の背景にある要素を完全に把握しなければ、検証に適した人物かわかりませんし、仮に適した人物だけ集めて行ったところで、その結果に大きな価値はないでしょう。
なぜなら、世の中は“検証に適した人物”だけで構成されていないからです。
不確定要素が混ざり合った中で、どういった行動を取るのか。
それこそが求められる答えであって、特定の条件下での結果なんて、新しい用語を作るくらいの利用価値しかない。
そんな風に、個人的には感じるところがあります。
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ちなみに、子どもの頃の私が実験に参加したら、1個目にも手を付けなかったでしょう。
理由は単純です。
今も昔も、マシュマロが嫌いだからです。
我慢したら増えるとか、どんな拷問だよ……。
「早く部屋から出せ! 僕の時間を奪うな」と思っていたことでしょう。