メモ書き

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文系アカデミズムの変革手法は、「規制」しかないのか?

理系は、技術によって革新する。
新たな技術や発見によって、人類に進歩や変化をもたらす……。
では、文系が進歩をもたらすのは、いつか?

間違っても、「分類」で進歩は訪れないし、「批評」でも訪れない。
大学にまで行って学ぶそれは、本や動画を見れば事足りることばかり。
何のために文系の大学が存在するのか?

それは、その道で食ってきた人を 今後も食わせるため。
テキストにでも選ばれない限り売れない書籍を学生に買わせ、そのテキストの朗読会を聞かせて授業料を得るため……。

いや、待て待て。
文系の中にも、尖った学問がある。悪い意味で。

その学問における「変革」は、「規制」によって実行に移される。
「新しい思想」を生み出すことで、「今までの常識を規制」し、変革するのだ。

新しい思想に、科学的な根拠は要らない。
自分の主義主張で思想をデコレーションし、都合の良いコメントを拾って少数派の代弁者となり、不都合や矛盾には目をつむって「規制」を叫ぶ。
文字通り、奇声をあげて……。

すると、どうだろう。

賛同者が集まることで既存の何かが破壊され、その破壊を望む者に もてはやされる。
ある者は嫌悪する対象の破壊に喜び、ある者は利益によって喜ぶ……。
規制によって利益を得る者が現れるなら、それは変革なのだ。

今まで支配的だったものが規制で消え去れば、そこにとって代わる何かが生まれる。
その代用品で先んじたものが、次代の勝者となる。
もしくは、代用品で先んじれそうな者が、規制を呼び掛ける先導者を探し、その依頼を……。

これは、学問なのだろうか?

やってることは、広告業と一緒じゃないか……。
だとしたら、映えるビジュアルがセットだと、需要が増しそう。

* * *

何となく、そんなことを考えました。

個人的に、文系の学部を出て思うのは、もはや存在しちゃいけないってこと。

理由は単純で、時間を浪費するから。
同じように誰かの時間を浪費してほしくない。
選べるような状態にあり、価値があるように言われているから、深く考えずに選択してしまう人がいる。
それが悲しい。
異論がある人もいるでしょう。
お前の学びが足りないとか、言う人もいるでしょう。

でも、ぶっちゃけ、要る?

いずれは、理系のそれに包括されていく学問領域で、化学が認識された世界で錬金術を学ぶようなもんじゃないかと……。

心理学でいうなら、実験によって検証されていたものが、脳科学で結論付けられる感じに。

diamond.jp

 

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天下に忌諱多くして民いよいよ貧し