メモ書き

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「嫌なら見るな」は、通用しない

割とよく見かける「嫌なら見るな」という言葉。

使われ方としては、「何々は内容的に不適切だ」といった批判に対し、「嫌なら見るな」と返す感じ。

「あのテレビ番組は、けしからん」
「嫌なら見るな」

これで論破したつもりになっている人もいます。

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仮に「嫌だから見ない」を実施しても、根本的には何も解決していません。

その人が「見ない」と決めたとしても、「見ている」人がいる限り、「見ない」と決めた媒体の影響は残り続けるから。

例えば、誤情報を流している媒体があるとします……。

「あそこは誤情報ばかりだから、もう見ない」

と決意し、その人は誤情報に振り回されなくなったとしても、身近に「見続けている人」がいれば、その誤情報に振り回される人を相手にしなくては いけません。

「何々で、こう言っていた。だから、お前の行動は間違っている」
「あそこのは、誤情報だよ」
「見てないくせに、文句を言うな」

ほら、何も解決していない。

むしろ、どこが間違っていたのか指摘できないデメリットが生じています。

そういう意味で、誤情報を流す媒体が存在し続ける不都合って、思った以上に大きいかもしれません。

その誤情報の極みは、国家ぐるみで実施するタイプの洗脳教育。
事実に反したことを教え、国民を都合よく動かそうとする類の……。

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「嫌なら見るな」は、通用しない。

そう説明したところで、きっと「嫌なら見るな」と言う人には届かないでしょう。

反論は嫌なものですから、おそらく「嫌だから聞かない」と、耳をふさぐはずなので……。