緒方正規(陸軍・東大グループ)「脚気は細菌による伝染病である」
北里柴三郎「緒方氏の実験には不備がある」
森鴎外(森 林太郎@文豪)「陸軍は米食で十分な栄養法を行える」
ビタミンB1が発見され、これが欠乏すると脚気になると判明したのは大正15年のことだ。B1は肉や魚、麦など白米以外のほとんどの食品に含まれる。兼寛は疫学調査から脚気の詳しい原因がわかる前に、脚気対策に成功していたのだ。
フンクや鈴木梅太郎らが脚気の原因としてビタミン(オリザニン)を糠のなかに発見したのは大正元年(1912)
引用元:脚気論争―日本最初の医学論争
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昨日、ブログを書きながら、なぜか思い出したのが脚気のこと。
おぼろげながら、「米食をパン食に変えたら、ビタミンが摂取できて治った」という記憶だけありました。
「米食でも、おかずでビタミンを採ってんじゃないの?」
そういった疑問を持つかもしれませんが、当時は限度を超えた白米至上主義だったような……。
おかずナシで、白米を山盛り食べるのが普通。
というのも、憧れだった白米を腹いっぱい食べられるようになった時期だから、だったかな?
それで、栄養の偏りから脚気になっていたわけです。
いや、違ったかな? これは「江戸わずらい」だ。たぶん。
なんか、その頃から明治にかけて広がったようなので、流れとしては合ってるのかな?
調べていたら、農林水産省に「脚気の発生」のページがあった。
後で読もう。
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こんなことを書き出したのは、北里柴三郎に関する何かで、脚気絡みで軍部と対立したエピソードがあり、最後は どうなったのかなと気になったから。
そう、知りたい最後が、それには無かったんですよ。
知りたかったのは、軍部の威信にかけて「細菌説」を通そうとした人々が、最終的に支持した主張は何だったのか。
軽く調べたところ、最終的には栄養説に行きついたようですね。晩年は。
そうじゃなさそうな人もいるけど。
ただ、論争という点で見れば、当事者が亡くなり始めたので、忘れ去られた議論になったのかな?
という、個人的に気になったのをチェックしただけのメモでした。
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補足というか、書き忘れたこと。
船上では、食べるものが限られます。
陸地から離れた航路を取れば、ビタミンからも遠ざかるもの。
船に載せられる食品は、保存がきくものに限られるから……。
そう、ビタミンは生ものに多い。
じゃ、海外の船乗りは、どうしていたのか?
プリンを食べて、脚気を予防していたのかも。
プディングが誕生したのは、16世紀の大航海時代。
余った肉や野菜などを煮込み、その具材を生地の中に詰めて蒸したものを“プディング”と呼んでいました。
野菜が入っていますし、パンくずも入れていたそうなので……。
というか、高木兼寛はパン食に変えて、脚気を治してるんですよね。
そう考えると、彼らが米食だったら、大航海時代は訪れて いなかったかも。
脚気を治したから、パンが薬として処方されたような話を耳にしたような気も……。
あと、まんがはじめて物語あたりで、パンの食べ方をやっていた記憶があります。
普及し始めた頃、パンの食べ方にも順序があったとか。
まずは、パンを手に取り、半分に分けます。
片方を皿に置き、もう片方を左手に持って、右手でちぎって食べる……。
そんな食べ方だったとか。
なんで、こんなのを覚えているのか、自分でも不思議ですが。