「1,000万人が犠牲になります」と言って、それを信じてしまったら、「対策を打っても無駄だ。好きなことをしよう」と思う人も出てくるでしょう。
自暴自棄ってヤツですね。
対策をする側も、「1,000万人が犠牲になります」というなら、何かを始めても意味がないなと考えるでしょう。
「明日、世界が終わります」と言われて、仕事しますか?
そういう意味で、数字は正確さを求めるのが大前提。
計算って、そういうもの。
とにかく危機感を煽ればOKというのは、何も考えていないから言えること。
そこに“ちょうどいい”は存在しない。
“ちょうどいい”は、確かな計算の結果としてある。
「遅刻するから、早く起きなさい」と遅刻の危機を煽り、午前4時くらいに起こしても、登校時間には眠くなっている……。
いつ、どんな行動をするのか。
何がゴールなのかを考え、そこから逆算して、今のアクションを決めないといけない。
適切な時間に起きて初めて、“ちょうどいい”と言えるはず。
なので、感情的な煽りに“ちょうどいい”は存在しない……と思ったというメモです。
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あと、そうですね。
なんでも「政府には、対応してもらいたい」って書くのは、どうなんだろう?
「それ、国に頼むこと?」みたいな話でも書いてる人がいるよね。
政府って、便利屋か何かになったんだろうか。
「超 大きな政府」でも求めているんだろうか。