NHKスペシャル「揺れるアメリカ 分断の行方」だったかな?
この番組を見ていて、気づいたことがある。
投票理由が、ワンテーマだと。
人種差別を受けているから、問題を解決しそうな方に入れる。
経済が良くなったから、再選を望む。
支持者の理由はシンプルで、ワンテーマだった。
あとは相手の批判。
番組の構成上、そうしたのかもしれないし、実際には別の理由もあったかもしれない。
でも、聞こえてくる理由は、どれもシンプルで、多角的な意見は少ない。
国防の観点から、トランプだ。
温暖化対策を考えれば、バイデンだ。
こんな感じ。
バイデンの息子のアレ。
トランプの納税のソレ。
それは、支持理由ではない。
大事なのは、なぜ一票を投じるのか……。
アイツに勝たれるのが嫌だから、対抗馬に一票。
これも支持と呼べるのだろうか?
目クソが嫌だから鼻クソを選んだところで、あまり意味はないと思うんだけど……。
いや、もしも鼻クソの方が美味しいというなら、そのときは納得するしかない。
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投票理由が、ワンテーマ。
人によっては「普通じゃね?」と思うかもしれないが、私は「そのように考えない」タイプなので、新鮮でした。
どう考えるのかというと、個人的な採点です。
Aは、これをしそうだから加点、それをしちゃうから減点……。
Bは、あれをしそうだから加点、この問題をスルーするから減点……。
そんな感じ。
「自分にとって得か」ではなく、社会にとって「どちらがプラスの側面が多いか」で見ようとする。
もちろん、その判断が正しい保証はないけど、自分なりの採点を加える。
自分にとって「痛み」が大きいけど、今後の世代を考えれば……。
自己犠牲の美学ってヤツに、浸ることもある。
そういう発想をしても、稀にクリティカルポイントが発生します。
許してはいけない一線。それを超えると、問答無用で不支持を選ぶ何か。
そのクリティカルポイントが、毎度 発生しているのだとしたら、ワンテーマで選ぶ気持ちも わからなくはない。
好きには なれないけども……。
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好きになれないのは、他の問題を軽視していると受け取れるから?
それとも、基本的な部分で相容れないからか、そういう発想を持っていないからか……。
自己利益の追求にしか見えないからか……。
「顔出し」でブログを書いている人が、「顔出し」していない人をディスっていた言葉に、こんなのがありました。
『顔を出さないんじゃ、適当なことを無責任に書くに決まっている』
ちょっと驚きました。
私は顔出しの有無で、書く文章を変えることはない……。その発想がない。
だから、驚いたのです。
逆に、これを書いた人は、顔出ししていないところでは、適当で無責任なんでしょうか?
紳士がいないから、紳士の概念が生まれた。
人権がないから、人権の概念が生まれた。
差別が生まれたから、差別をしないという発想も生まれた。
そういう理屈で言うなら、人権先進国は そういう土壌だったとも言える。
何も問題が発生しないところには、新しい概念は生まれない……。
段々、書きたかったことからズレていって、落としどころが見つけられなくなってきました。
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差別という単語を書くと、黒人差別ばかりが話題になってるけど、「アジア人は?」という気持ちも。
うちらもデモ、した方がいいですか?
デモという手段自体、私は嫌ですけどね。
NHKの番組で映っていたけど、毎日デモ行進して、自分の主張をリズムに乗せて、何か解決するんだろうか?
周りに「うるさい」と反感を抱かれれば、かえってマイナス。
法的に「差別」を禁止しても、人の心の在り様を変えるのは難しい。
であれば、「なぜ、差別すべきではないのか」という教育、あるいは再教育を根気よく促すしかないのではないか。
デモの結果、差別されてきた側を優遇すれば、今度は差別の対象者が逆転するだけでは?
優遇に味を占め、勢力を拡大させ、圧力団体となった例が……。
それとも、自分が差別を受けるのは許せないけど、差別する側になるなら、オールOKとでも?
何事もゴールは明確に、正当な場所に。
アンフェアなゴールを設置してはいけないし、目指すゴールもなしに突っ走っても、疲れるだけだ。
どこに辿り着きたいのか?
その問いは、問題解決を望む人の命題。