経済を回したいなら、金持ちからワクチン接種すればいい。
貧乏人は、使える金が少ないから、行動の自由を得ても活動は限られる。
限られた活動で、経済の活性化は期待できない。
……みたいなことを言えば、きっと反感を買うのでしょう。
ただ、経済を回すと聞き、同時に一律給付の話を耳にするとき、金銭的に余裕がない人に「使え」というのは、それはそれで酷だなと。
使うしかない人は、黙っていても生活費として使うでしょう。
一方で、そうじゃない人は、「もしも」を考えて貯蓄に回す。
ほら、そうなると、使う余裕がある暇な金持ちを優先した方が、経済ってヤツは動くんじゃないの?
それが、巡り巡って、他の人にも行き届くんだよ。たぶんね。
まぁ、無駄な金を使わないから、金が手元に残って、金持ちでいられるのかもしれないけど。
もちろん、それ以前の段階で「入ってくる金」が「出ていく金」より、はるかに多いんでしょうが。
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そういう計算を抜きして、「貧者を優遇すれば、万事うまくいく」みたいな思想で、お金持ちは税金用の財布にされ、経済を語られることが少なくない気がする。
道徳的な最適解と、経済的な最適解は、必ずしも一致しない。
その前提すら許されない息苦しさというか、頭の悪さがあるような……。
「誰も取り残さない」は、美しいかもしれない。
だけど、「君を見捨てない」と言って、一緒に泥沼にはまったところで、先にはまっていた人は嬉しいの?
あぁ、嬉しいのかもね。
他人の幸福は唾棄すべきもの、他人の不幸は蜜の味という人なら。
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接種の順番は、高齢者や持病のある人が優先。
それは、感染後のリスクが高く、医療における負担も大きいから。
その辺の理屈はわかる。
しかし、外に出て働かなくてはいけないのは、現役世代。
先の高齢者や持病のある人は、ずっと家にいても問題ない人は少なくない。
社会活動の維持に関する影響力が極めて低い存在。
であれば、彼らこそ「家にいていい」存在だし、外に出なきゃ仕事できない人こそ「優先接種」の対象となるべき……という意見が出ても不思議はない。
なのに、そういう話は見ない。
で、感染者は一様に年代別の多さで比較される。
外に出なくて済む人と、外に出て働かないとダメな人が、その辺の事情抜きで比べられる……。
これって、理不尽じゃない?
……とか言っていて、どの年代でも「外に出なくて済む人」の感染が多かったら、何とも言えないけどね。
まぁ、テレビの視聴者は年寄りが多いから、視聴者層の気分が悪くならないよう、若い世代を悪く……以下略。
最近は、購買力のない高齢者層の影響力が低下したとか聞くけども。
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それは、それとして。
医療が充実するほど、老人が増えて財政が苦しくなってきたような……。
ほら、生産人口が減るんでね。
そういう意味で、医療ってヤツは、自分で自分の首だけでなく、社会の首を絞めてきた側面もあるような?
無理やりの延命治療で仕事を作り出した結果、なかなか死ねないだけの長生きが増えた。
期限があるから、メリハリは生まれる。
だらだらと、いつまで続くかわからなくなった寿命には、生き方を活発化させる要素が足りてないんじゃないか。
誰もが健康な生活を送るための医療は、道徳や倫理を考えるまでもなく、生物として存在する以上、大変に意味のあること。
だとしても、その意義を追求した結果が、人生のクオリティを下げているのだとしたら?
そんなことを少し考えたというメモです。
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草食動物の群れが、肉食獣に襲われたとき、逃げ遅れた者が食われます。
逃げ遅れるのは、決まって弱者。
満足に動けない者。
弱者、高齢者……。
そういった犠牲があり、群れは生き残る。
彼らがいなければ、幼い生命が犠牲となったでしょう。
彼らの次に逃げ遅れそうなのは、幼い者でしょうから。
ところが、医療によって弱者の順番が入れ替わり、真っ先に食われるのが幼い者になった。
すると、新しい生命が消え続け、古い生命ばかりに……。
みたいなことも同時に思い出したので、付け加えておきます。