「アイツ、たまには まともなことを言うよな」
……といった趣旨の発言を見かけます。
この場合の「まともさ」の基準って、発言者と同意見って感じなんですよね。
自分と同じ意見だから、まとも……。
なぜなら、自分は「まとも」だから。
根拠としては、ちょっとアレですよね。
自分の主義主張 絶対主義みたいな?
ずっと「赤信号みんなで渡れば怖くない」と言っていた人が、「信号を守ろう」くらいのことを言えば、「アイツ、たまには まともなことを言うよな」でも気にならないでしょう。
ですが、この手の言葉が使われるときって、わかりきった「まとも」ではないことも、少なくない……。
割と、政治的な意見で対立していた相手が、自分寄りの意見に変わった際に使われているのを見るので、う~んって感じに。
* * *
なんでしょうね。
自分を「まとも」じゃないと思っていては生活しづらいから、自分を肯定するために「まとも」の基準を自分に置くのでしょうか。
もしも、その「まとも」基準者の「まともさ」で築き上げた現状が芳しくない場合、どの程度の「まともさ」か考え……以下略。
いや、言葉の意味とか深く考えずに、足りない語彙力で何かを表現しているだけかも。
たまたま「まとも」という言葉を知っていて、自分を肯定できる言葉として出やすいみたいな?
身内にも「当たり前」じゃないことでも、「当たり前」を使うのがいますし……。
自分の中で「わかっていること」は、すべて当たり前だと思っている。
誤信念課題をやらせれば、3才児の反応を示すような感じで、「相手の立場」になって考えられないタイプの……。
まぁ、端的に言えば、お前の「当たり前」なんか、知らねぇ~よ?
子どもといえば、「絶対」とか「全部」という単語が好きなのか、やたらと繰り返すんですよね。
何かにつけて全部を欲しがり、ことあるごとに絶対を要求する。
数を数えるのを放棄し、不確実性を嫌うそれが幼児性と言うなら、数字と確率のない会話をする大人は、幼稚なのかもね。
* * *
「まとも」なことを言った相手であっても、自分に不都合な意見を突きつけられれば、その非が自分にあっても、その人に失望したと言い出すんですよね。