メモ書き

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墓場が、ゴミ捨て場になっていた|お供えは禁止すべき

墓場の周りに散らばっていたゴミを片づけた話です。

場所は、山奥にある集落のはずれ、杉林に入る手前。
そこに、集落で暮らす人々、あるいは暮らしていた人々の墓があって、周辺に供えられた物が残骸として散らばっていました。長いこと……。

それを片づけたんです。

多かったのは、使い捨てポリ容器系。

最多は、「中央化学 弁当容器 DXHS」みたいなの。

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供物を入れてきて、そのまま置いて行ったんでしょうね。
山のように出てきます。

中身がないと軽いので、風で飛ばされて散らばります。
中に何か入っていても、動物が食べてカラになるので、散らばるゴミを置いていくのと同じ。

散らばった後、地面にある杉の枝にひっかかり、その上に雪が積もったり、土が入ったりし、埋もれていくわけです。
劣化が激しいので、落ちていた物を拾うと、割れることもあって厄介……。


続いて、白いトレー。
これも多かった。

こっちの方が劣化スピードが早く、かつ細かく砕けやすいので、完全に取り去るのが困難。

その次は、お菓子の包装紙。
しるこサンドルマンドなどの個別包装が多かったです。

そして、ゴミと判断していいのか迷うのが、花。
造花です。

素材はポリエステルでしょうか。
枯れないから、ずっと供えておけると思ったんでしょうが、風で飛んでえらいことに……。

その辺の土に埋もれて汚くなってるのもあれば、花の箇所だけ取れて転がっているのに、墓じゃないところの土に挿されているのも。
最後のは、飛んできた花が誰のかわからず、その辺に挿して置こうって感じなんでしょう。


最悪だったのは、割れた瓶。
一升瓶です。
これは、危ない。

中に水でも入れてきて、そのまま置いて行ったんでしょう。

何を考えているんでしょうか。
何も考えていないでしょうね。

これで供養だの何だの、祖先を弔うだの言うのかと思うと……。
墓場にゴミを供えて、何を得意げな顔をしているのかと。

所詮、供養は自己満足。
死んだ人間に、何がわかるというのか。

遺された側の気持ちのために行われる消費活動でしかない。
いや、宗教関係者にとっては、食い扶持か。

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インドの農村部のドキュメンタリー番組「お葬式破産」じゃないですが、悪しき風習は自分の代で終わらせるのが、最大の孝行ってもの。

「オレの葬式は簡素でいいから、親の葬式は……」

……っていうのは、問題の先送りでしかない。
自分は金をかけて親を弔った孝行ものになるけど、子どもには金をかけずに弔って親不孝ものになれって言ってるんですからね。
自分の評判だけは、落としたくないみたいな?

「あそこの息子、葬式代ケチったらしいよ」
「お父さんの代までは、立派な葬式をあげていたのにね」

* * *

そういえば、この手のゴミを片づけたら、放っておけば土に戻ると言われたことがありました。
相手は戦前生まれなので、自然に分解されないものは無いという発想なんでしょうか。

昔は、川辺で古い家の建築材を燃やしていたとか、野焼きの規制がどうとか、燃やしたところで問題ないのにと、言っていたような……。

なんというか、アレですね。
違う時代を生きているよう……。

江戸時代の人にパソコンの話をしても通じないように、知識を増やす気のない人に何かを説明しても……以下略。