メモ書き

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見えている世界が狭い人は、なぜ生まれるのか?

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少し前に上のニュースを見て、京アニの件を思い出しました。
でもって、“そういう人”のことを考えたと。

たぶんね、この手の人に創作能力は無いわけですよ。
小説を書くにしても、やっとこさ一冊の文量を用意できる程度であって、作家として続けて書いていける気力も体力も無い。
つまりは、何かを継続する力がない。
何も継続していないから、偏った知識や経験しか得られていない。客観的に自分が見れていない。
なもんで、痛い主張を繰り返す。
子供が刑罰を「死刑」しか知らないから繰り返すように、「パクった」を使い続ける……。

継続力がないから、継続がものをいう分野での成功体験が乏しい。
継続力がないから、手軽な娯楽で得た知識しかないし、手軽な趣味しか持ちえない。手軽な娯楽しか知らないから、進路も手軽な娯楽しかないし、叶えたい夢も手軽な娯楽になる。

手軽さの中に閉じこもり、手軽に入る知識と経験で構成されると、その手軽さがすべてになる。

リアルな人間関係を築かないまま、手軽な娯楽を通して知った著名人だけが唯一の異性であり、知っている人になったりする……。
挙句、会ったこともない人が自分を好きだと錯覚する。

……と思ったというメモ。
まぁ、偏見でしかないけど、見ている世界がそれしかないなら、そうなるほかないよね。

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https://pbs.twimg.com/media/Bj_kHQTCAAAs6F9?format=jpg&name=small

読書の量が、見える世界を広くする。
そんなイラストもありますが、書店で見かけるのは役に立たなそうな著名人の本や、新聞やテレビだけで話題の本ばかり……。

特定の条件下でしか役に立たない知識、あるいは誤った情報を積み上げても、見える景色は歪んでいそうなもの。

なので、本ではなく積み上げた経験の上に立って、前よりも遠くが見られることを思い浮かべ、かつての自分が狭かったことに気づいてもらえれば……?

いや、経験とまではいかなくても、いろんな集団に属すだけで、見え方は養われそうなもの。
大人が子供の判断力を軽視するのは、彼らが属した集団が家族と学校しかないから。それも保護される側としての所属。

サービスを提供する側として集団に属し、その集団内での責任を背負った後に見える世界は、保護されていたときの“それ”とは違う……みたいな?

ということで、“そういう人”を増やさないためにも、ロールプレイ的な授業でもして、見える世界の広げ方を授業で覚えてほしいような気も。
そんな話。

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以下は、関係ないメモ。

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