メモ書き

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「票を入れていないから、文句を言える」という発想

知人が「票を入れていない人だけが、文句を言える」と、SNSで発信していました。
だいぶ前に見たそれを思い出し、あれこれ考えたので ちょっとメモ……。

先のコメントは、オリンピックの話題に付属するものでした。
“オリンピック招致を都知事選で叫ぶ彼”に入れなかったから、私は文句を言える。
それが、その人の主張。

もしも、その言葉通り、票を入れないことで“文句を言う権利”が与えられるのなら、選挙に行かないのがベストです。
確実に、ひとつの自由が得られるので。

その代償として失うのは一票ですが、これはデメリットになりません。
一票差で決まった都知事選ではないからです。
その人の一票で当選は決まらない。この時点で無価値。自由を得た方がいい。
そうなるでしょう。

まぁ、そういうのは抜きにしても、「その理屈でいくと、選挙に行かない奴は言い放題でいいよね」と突っ込まれれば、その人は どう答えたのでしょう……。

「支持の数を示せるだけ、行ってよかった」と言えたら、まだ いいんですけども。

勝者が決まったあとは、誰に投票したか分からない「疑問票」を無視したり、候補者に適当に振り分けたりと、日本の常識では考えられないことも行われている

www3.nhk.or.jp

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自分が票を入れていない人が当選した場合、その行いを見て“票を入れた人”を批判するのは簡単です。

しかし、“当選すらしなかった人”に票を入れた人を批判するのは難しい。

「あいつが当選していたら、今より悪くなっていただろう」

そんな憶測で語るしかないからです。
ただ、選挙で大敗したという事実は、それだけ“有権者を見ていない”ということ。

選ばれなかった誰かより、選ばれた誰かがマシだった。
そういう前提が、選挙にはある。
だとすれば、入れてないから文句を言えるという発想は、「寝ていて転んだ例なし」に近い。

『何もしなければ、失敗することもない』

もしかしたら、泡沫候補に入れる心理には、こういった理由があるのかも。
当選して為政者となり、メディアの批判にさらされる側に、自分は加担してない……。
この事実こそ、彼らが求める投票なのかも。

いや、「自分は賢い」と思いたいだけ。
私は批判される人物に入れてない。それは、こうなるのをわかっていたからだ。
そんな感じで。

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にしても、オリンピックの誘致だけで票を決めるなんて……。
他にも検討すべきポイントは、あっただろうに。

オリンピックに反対なら、暴力的革命を目指している人でも、いいんだろうか?
オリンピックに賛成していれば、他のプラスに見ないフリができるのだろうか?

自分が気にしているポイントをクリアしていれば、他は構わないという盲目的支持ってやつが、どうにも気持ちが悪い。

att3200.hatenablog.com

ワンテーマ云々でブログを書いた際、何か引っかかっていたのは、そういう気持ち悪さかも。

上の記事を含め、あれこれ選挙について書いていますが、私の選挙に対する考え方は模範的なそれではなく、人によっては石を投げてきそうなレベルのものです……。
ちなみに、オリンピックも。

att3200.hatenablog.com

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