メモ書き

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物語の創作能力と、作者の現実体験

「いろんな体験をしないと、面白いものは描けない」

というのは、ありがち創作論だけど、半分くらいは間違っている……と思っている。

多くの創作者や役者は殺人を犯していないけど、そういうのをやっているんだから、体験と創作は別もの。
そういう前提を踏まえたうえで、残りの半分は当たっている点について、自分の考えをまとめてみる。

端的に言えば、現実体験は思考ステージの変化ではないだろうか。

どういう視点でモノを見て、どう捉えるのかという話。

例えば、若くしてデビューした漫画家だと、会社というステージを経験していない。
なので、学校という経験済みのステージを舞台にした物語に、等身大の主人公を投入するのは楽だけど、未経験の会社という舞台で似たようなことをするのは難しい。
そんな理屈。

未経験であっても、経験者への取材やら何やらでリアリティを得られるのなら、その才能も含めて立派なわけだけど、これは創作能力というより取材力な気もしないでもない。

一方で、ステージが変化してしまうことで、読者の目線から離れてしまう危険性もある。
キッズ受けの良い作品を目指すなら、よりキッズに近いステージの目線を持った人の方が、感性が近いので刺さりやすいのかも。

その熱狂的ファンだったキッズも年を重ねてステージが変わり、目線が変わると楽しんでいたはずの作品が面白くなくなっていく……。
この現象もまた、思考ステージの変化と言えなくもない。


「いろんな体験しなくても、面白いものは描ける」


そう言っている人は、同じステージの作品ばかり描いてやしないか。
気になるのは、その点。

でもまぁ、需要があるんであれば、それはそれでいいんでしょう。
ステージ云々以前に、物語を描き切るだけの情熱と努力、それを継続する意思に比べれば、体験や才能も取るに足らないことかも。

こういうのを書いていて思うのは、万人受けする人は天才ではなく、多くの人と同じような感性を持った凄い人なんだと思う。
天才っていうのは、常人の思考の範疇にない感じで、自分の感性と他者の感性がズレていて、孤独なタイプなんじゃないかと……。

「この面白さを誰も理解してくれない」

こういうのが、たぶん天才。
商業的には落第生だけど。