メモ書き

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思想型マナー講師

マナー講師による変なマナー解説というか、謎ルールの押し付けが、ネット上で話題になることが、たまにある気がします。

その独自マナーとでも呼ぶべきものは、思想の押し付けと大差ないんじゃないかと思ったというメモ。

* * *

先に思い出話から。

そういや、一時期マナー講師の女性と縁があったなと思い出しました。

知り合った後に「マナー講師」だと聞かされたので、仕事ぶりを見たことは一度もありません。
ただ、その人は電車の優先席に座り、音漏れしている状態で音楽を聴いていたんですよ。

「マナー講師のマナーがなっていない」という状況が、私にとって唯一と呼べるほどの彼女の記憶。

なんで、それを思い出したのかと言えば、マナーは何のためにあるのかと思ったから。

たぶんね、あるからには理由がある。
互いの生活を送りやすくなるためとか、心証がいいとか、その方が合理的だとか……。

であるなら、その利点を気にかけ、常日頃から自然と「マナーの良さ」がにじみ出てないと、講師としては失格じゃない?
そういう視点で捉えたとき、誰得なマナーを押し付けるそれ自体が、マナー違反じゃないのかと思った次第。

* * *

逆に、そういう謎ルール的なマナーを押し付ける背景は何か。

そう考えると、職業としての必要性が思い当ってしまう……。
「立ち振る舞い」を学んだ人が、接客以外で収入を得たい場合、「マナー講習」あたりが無難。

でも、どこでもやっているような「マナー講習」だと、同業他社との差別化ができない。
そこで、独自のマナー理論を展開し、新たな流派を生み出す。
茶道のように……。
茶道、よく知らんけど。

「お辞儀の角度は、30度が美しい」
「いや、35度だ」

……どうでもいいがな。

「畳のへりを踏んではいけない」のは、へりの耐久性が云々言われる方が、理にかなっていて個人的には好き。

そういう“へり”的なものに関しても、昔と今じゃ事情は違うでしょう。

かつては意味があった行為も、それが“何のため”だったか伝わらなければ、“そういうもの”として形が残っていく、かも。

 

そして、似たようなものを見つけ、どっちがルーツだと言い出す。

 

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akita-misato.com

そんなことを、浅はかな後世の歴史家というか、程度の低い文化研究者がやりそうで怖い。

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でもって、特定の考え方を押し付けるそれ……。

俗に“意識高い系”と呼ばれている人たちが推奨する何かに関しても、所作ではなく思想におけるマナー講師に見えてならない。

彼らの食い扶持のために生み出され、押し付けられ、守らされている。

みんなが当たり前と捉えたら、それを打ち崩す新たなマナーを生み出し、古いマナーを破壊して回る。
洋服のトレンドのように一巡しながら、先導者は金儲けを続ける……。

これを「思想型マナー講師」と呼んでみたというだけのメモ。

bunshun.jp