たまにスマホを起動すると、アプリの更新が山のようにあって、面倒だなって感じてしまいます。
この更新の手間に目がいき、その利便性を感じられないでいると、「スマホって、不便じゃない?」となるんですよ。手間が発生し、時間を奪われるだけの存在なので。
便利さとは、突き詰めれば時短。
手洗いだと大変だったけど、洗濯機の登場で楽になった。そんな“便利さ”を基準に考えた場合、時間を奪われるスマホに“便利さ”は……というメモ。
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もちろん、有用だから普及したのでしょう。
昔なら、複雑な都内の地下鉄は、ポケットサイズの路線図とかを見て、ルートを考えていました。
それが、今じゃスマホの乗り換えアプリ、あるいは何らかのサイトの乗り換え案内で事足ります。
これで、路線図を持ち歩く必要はなくなったわけです。
同じようなことは“他の情報”に関しても言えるので、スマホさえ持ち歩いていれば、地図や暇つぶし用の本を持ち歩く理由も消えました。
ニュースを知るために新聞を買う必要もないでしょう。
ゴシップを漁るために週刊誌を買うことも……。
人によっては、アプリで支払うので財布すら不要。
そんな“便利さ”があるにも関わらず、私が不便さを感じるのは、端的に言えば外に出ないからですね。
大抵のことを家の中で済ませるようになってしまっては、使う理由を見つけにくい……。
そうなると、更新やメンテナンスなどの作業が発生し、時間を奪われるだけの存在になるのです。
他者とのコミュニケーション?
そういうのは、もうないので。
十数年と付き合いのあった友人たちですら、もう電話越しの会話すら何年もしていない。
そんな孤独を選んでしまうと、様々な書類にある「連絡先という記入欄」のため、電話番号を確保する目的でガラケーを所持。そういう状況になるわけです。
ガラケーは、いいですよ。
一回の充電で、一週間以上持ちますし。
まぁ、使わないから持っているんですけどね。
あと、邪魔にならない。
コンパクトでいいです。
スマホとか、大きくなりすぎて、邪魔に思わないんでしょうか?
バッテリーの減りが早いから、モバイルバッテリーなんか持ち歩いちゃって、重くないのでしょうか?
最近は、スマホショルダーだから気にならない?
それって、ショルダーフォンの時代に戻ってない?
レトロブームですか?
いっそ、モバイルバッテリーを含め、あのデザインにしたらと思わないでもない。
と、アンチの煽り風に書くと、こんな感じになるでしょうか。
実際のところは、別にどうも思っていません。
何でもいいから適当に文章を書いてみたかっただけ。
最近、集中力が続かない病、何もしたくない病が酷いので、取り敢えず「何かをしてみる」&「考えてみる」練習をしたかっただけです。
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考えついでに……。
野良アプリのプラットフォームって、あるんでしょうか?
ずっと、Android なら Google Play ストア、iPhone なら App Store のターンのまま?
まぁ、「提供元不明のアプリ」を有効にしてまで、野良アプリを使う人は稀かな。
かなり前に、EclipseでAndroidアプリを作ったことがるんですけど、パソコンのフリーソフトみたいな広がり方があれば、OS作ってる会社へのマージンを減らせて……以下略。
今思うと、あれがJavaに触れた最後。