「時事問題を知る」⇒「それを受けての行動変容は無い」
「時事問題を知る分の時間を趣味に費やす」⇒「楽しんだ」
こう捉えたとき、あれこれ考えずに「楽しんだ方が得だった」と言えなくもない。
知ったところで、「知った」という結果にしか繋がらないうえに、知ったことで気分を害するようなら、楽しことをしていた方が“良い時間の使い方”になる。
もちろん、時事問題から行動変容へと繋がり、将来の利益に大きくかかわるなら、話は別。
だけど、個人レベルでどうにもできない話題に夢中になり、その情報を誰かと共有したところで、どれほどのことがあるのか……。
見解の相違について意見を交わしたところで、有意義何かを見出すのは難しいのではないか……。
そんな風に思ったというメモ。
* * *
「ニュースが大事だ」という身内が、朝の情報番組(ワイドショー)を見るのをやめ、スポーツ中継を見ているのを知り、上記のようなことを思った次第。
まぁ、その……。
戦中を生きた人間にとって、見たくない映像が流れやすいからね。
そういうのを見て、呼吸を荒くされても困るし。健康的な意味で。