メモ書き

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無分別な救済は、何をもたらすのか?

生活に困窮している人がいる。
それを助けるのに、理由は要らない。

……って考え方だと、「生活に困窮」という一点しか見ていない。
過去に行った犯罪の結果、生活に困窮したのだとしたら、それも救済対象なのか。
救済後、他者を害する可能性があっても助けるのか。
そういった対象者の過去と未来を考え、点ではなく線として問題を語るとき、無分別な救済の是非は……という感じのメモ。

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「生活に困窮している人」という文章を見て、「泣いている日本人の子ども」を思い浮かべる場合と、そうじゃない場合では結論も変わってくるでしょう。

「閲覧注意」で検索するとヒットしそうな動画、例えば下記のようなものを見た後に、そこにいた人が困窮していたら助けるかと問われれば、なかなか「はい」とは言えないでしょう。
単純に人殺しですからね。

閲覧注意系

https://f-movie.po-kaki-to.com/movie.php?name=25184.mp4

https://f-movie.po-kaki-to.com/movie.php?name=25175.mp4

https://f-movie.po-kaki-to.com/movie.php?name=16402.mp4

https://f-movie.po-kaki-to.com/movie.php?name=16839-2.mp4

人殺しであっても……と言う人もいるでしょうが、動画に出てくるのは惨殺系のそれ。
その罪ごと受け入れて救済というのは、次の犯罪を幇助しているようなもの。テロ国家の支援と大差ない発想では?

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勿論、人が変わる可能性もあるでしょうが、そこまでして……と思わなくもない。

特に、受け入れ難い風習が染みついている場合は。
首狩りなどは、狩って一人前みたいな習わしがあるので、存在を認めるのは今後の事件の容認に等しい……みたいな話。

食人族が隣に引っ越してきても、「君らの食文化を否定しないよ」とは言えない。
誰も食材には なりたくないでしょうから。

じゃ、どうするのか?

助けない。
それに尽きる。

文化が違うと、受け止め方も違う。
助ける側は「助け合いの精神」を知っていても、相手は知らないこともあるでしょう。
逆に、救いの手を差し伸べるのは、自分が偉大だからだと思うかもしれない。

先に謝った方が負けみたいな文化圏相手に、こっちが下手に出れば向こうも譲歩するという発想が通用しないように。

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そういう視点で海外への援助を考えたとき、別の問題も発生することに気づく。

助けたい対象がいたとして、彼らを助けるには、助けるべきではない対象者の協力がいる場合、救済者は矛盾した行動を迫られる。

ここにXXを作りたい。
でも、それには地元のテロリストに許可を取らないといけない。
仕方ないので、資金提供と引き換えに許可を取り付ける……。

勿論、提供した資金は次のテロに使われる。


こうなると、誰を助けているのか、わからない。
テロリストに対抗する組織から狙われても不思議じゃない。
次の凶行に繋がるもの。

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このあと、冬になって食糧が不足したとか、エネルギーがどうのとなっても、点と線で対象者を見ないと、ダメかもしれないってこと。

「誰かを助けられる自分」は心地よいかもしれないけど、それは「問題の解決に貢献できた自分」とは違うこともある。

そういうスッキリしない話。