メモ書き

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少子化対策っていうけど、子供を3人は育てないと増えないよ?

単純に、人口が増えるためには、「2人の親」<「子供の数」が必要。

2人の親から、1人の子なら減少、2人なら現状維持、3人なら増加。
性別を度外視すれば そういう計算になるので、少子化対策とは「最低3人っ子政策」に他ならない……。

でもさ。

3人の子供って、めっちゃ厄介。
1人なら、大人に囲まれた状態なので、悪ふざけにも可能な範囲がある。
2人になると、一緒になってバカなことをするので、悪ふざけのレベルが上がる。
3人になると、勢力として2対1に分かれる可能性が出てきて、ケンカの頻度が極端に上がる……。
2人で遊ぶ何かを始めると、残った1人が……というケースも日常茶飯事。

まぁ、自分の身の回りではって話だけど。

中には、大勢になっても規律を守る子もいるでしょう。
よく訓練されているか、気質的にそうならば……。


* * *

で、こんな複数の子供の面倒を親だけで見るのは厳しいわけで、親の親も参戦するのが田舎のスタンダード。
だって、小学校まで車で送り迎えが日常になっちゃってるもの。

なぜ?

学校から遠いからね。
人口が減り、子供の数が激減し、学校の統廃合が進んで、スクールバスで通学する子が増えていく……。
でも、バスの運転手の人手にも限界があるとか、過去にあった事件の影響で防犯がどうのとか、色々あるわけですよ。
昔は、日々3km以上の道のりをランドセルを背負い、歩いたわけですけども。

下校中にトイレに行きたくなれば、近くの民家に「トイレを貸してください」と言いに行き、喉が渇けば道中にある友人宅で水分補給。あるいは、禁止されていた駄菓子屋での買い食い……。
そんな駄菓子屋もなくなり、立ち寄っていた民家も廃墟となりました。

今は、水筒を持たせているみたいですね。


おそらく、最長距離を歩いていたのは、氷河期世代でしょうね。
団塊の世代になると、今よりも学校が近場にあって……。
という事実があるんだけど、これって私の地元の話なので、他も同じなのかは不明。

地方は産業の勃興で人が集まって学校ができて、衰退で廃校という流れの中にいるので、統廃合って珍しくないんですよね。
私の地元には、かつて鉱山があったというのがデカいんですけど。

* * *

話がそれた。
「最低3人っ子政策」の話に戻ります。

都市部で3人も育てるのはキツいでしょう?
都内で暮らしていた際、知人の子育てを見ながら、そんな印象を抱きました。

マンションの騒音問題、遊び場の問題……。

そういったポイント以上に、親だけでの育児となるケースの多さ。
そりゃ、配偶者の父母との同居なんて、嫌がる人が大半でしょうから、そっちの方が自然。

でも、近くに親族の家があれば、何かあったときに助かる。
そう思っている人もいるでしょう。

私の地元の話をするなら、「夫婦の家」の隣に「配偶者の父母の家」というケースも見られます。
これなら、お互いに距離を取って、助け合いみたいなこともできる……かもしれません。

うまくいくかは、当人同士の意識の問題が大きいでしょうけど。

ただまぁ、こういうことができるのは、土地の安さも小さくないでしょう。

* * *

で、何が言いたいのかと言いますと……。

少子化対策は、地方で行うということ。

そんなに対策を打ちたいなら、働かなくても「子育てだけ」で食っていけるようにする。
育てた数に応じて減税に給付金。
また、子育てに協力した人にも支給。
これです。

子育てで食っているわけですから、プロのパパ&ママの誕生ですよ。
それで食っているわけなので、育児に関するエキスパート。
他者への助言もできるくらいになって、兼業パパ&ママの良き相談相手に……。

その財源は、どうするのか?
国債です。終わり。

地方だけじゃなく、都市部でもプロのパパ&ママはできそうですが、物理的なスペースの確保が難しいでしょう。
何より、「子育てに協力する人」の確保が難しい。

人は多いでしょうけど、隣近所の素性を知らな過ぎ。

対して田舎は、隣近所の人の履歴書を書けるレベル。
隣人に子どもを預けていいのかどうかは、都市部の隣人判断の比じゃない。

それに、田舎で変なことをしようものなら、噂は一気に広まって住めなくなるので、地方民は慎重な行動を心がけるはず。

そんなこんなで育てて増やす地方、働くための都市部という住み分けを……。

* * *

と、適当な妄想を書いたところで、問題点を書きたくなりました。

嫌な言い方をすれば、お金目当ての出産。

「働きたくないでござる」で子だくさんになったはいいけど、「面倒をみたくないでござる」で育児放棄なら、話にならない。

仮に、なんとか育てたとしても、遺伝は残酷なもの。
親の血液型で子供の血液が判断できるように、髪の色や目の色、背格好、顔つきが似るように、知能や才能も似てしまう。
「働きたくないでござる」な親の子は、「働きたくないでござる」になる確率↑
何より、病気の傾向が似てしまう……。

こうなると、最悪のケースとして“社会のリソース的に厄介な存在”を生み出すために、貴重な資金を投入することになる可能性もあるわけです。

“社会のリソース的に厄介な存在”を例を用いて語るなら、犯罪傾向も遺伝するという話。

 

www.cnn.co.jp


より良き社会を効率よく。
それを目標とするなら、出産は知能テストと遺伝子判断の「免許制」にした方が、逸材がバカによって潰される危険性を少なくし、少ない人材で効果的に世の中をまわせるんじゃないか……。
そう思わないでもないです。

誰もが親になれる権利を思えば、それは許されざるものでしょうが、振り切った考えを対極に置かないと、似たり寄ったりの改善策の中を堂々巡りしそうじゃないですか。

……と書いたものの、もう改善策を詰めていく気は薄れてしまっているという。

* * *

仮に、サイコパスが量産されてしまい、それによって普通に育った人が被害を被り、満足に働けなくなったとしたら、それは人的損失の上に支援費用も発生するので、二重のマイナス効果に繋がります。
だったら、根本的な解決として「サイコパスを出産段階で止める」みたいな発想が、上記のもの。

「あの子、昔はワルだったけど、今は……」

とか言うけど、そのワルを更生させるために費やしたリソース、ワルによって将来を棒に振ってしまった人を考えれば、存在しなかった方がマシっていうこともあるんじゃないの?
って書くと、人の命をそんな風に捉えるもんじゃないとか言われそうですが、実際にワルの恐喝や暴行で人が死んでますからね。
被害者側になれば、吐く言葉も変わってくるんじゃないかと思ったり。

そのワルも家庭の事情が~という流れで見ていくことも可能ですが、逆に言えば「負の連鎖を断ち切る」ための免許制度みたいな?
「家庭の事情が~」を配慮して支援した結果、普通に育った人が被害を被るのなら、最初から無かった方がベストだった。
「未来は、誰にもわからない」で支援し続ける意義もあるでしょうが、「あなたは親になっちゃダメ」という烙印を誰かが押すべきことも……。

そんな考えに至るような出来事があった気がします。

* * *

かつて、子だくさんの理由は労働力の確保以前に、病気で亡くなる子が多かったからだったはず。
身近に兄弟の生死があり、生き残った方が、その想いも背負って生きていく。

人生も今より短い分、生き方に「覚悟」があった。
そう思うことがあります。

今は、いつまで続くかわからない人生に「不安」を感じ、年老いてから急に感じ出す「死」に対し、「覚悟」がないまま「不安」だけを募らせている。

おっと、そんなことを書きたいんじゃなかった。
そもそも、出産の動機が大きく変わったって話ですよ。

誰か一人でも生き残って、血を繋いでいってほしい。
そんな願いで兄弟を増した結果、みんな元気で数が増えた……。

そういうケースが減れば、「3人」というラインは保てなくなって当たり前じゃないのか。
少子化を基本スケールとして、社会をデザインし直したらどうか。

機械でもやれるなら、機械にやらせた方が、高額な社会保険料を払わないで済むし、労災や雇用に関する費用も……。
そして、利益率が上がったら給与に反映し、デフレ脱却のステップに。

余った人の中から、専業のパパ&ママ、子育てに協力する人も……。

* * *

ということを考えたというメモです。

遺伝する病気理由で「親になっちゃダメだな」と思った私が書いたものだからか、他人事感が凄いけど。

あぁ、そうだ。
「子だくさんハッピー絵本」とかを幼少期に読み聞かせて、刷り込ませて価値観を変えるという少子化対策もあるかもね。
そういうイメージが無いと、ほら。動機ってやつがね。