バリアフリー対策としてエレベーターなどの設置を進めるから、鉄道の運賃に上乗せする仕組みの導入を考えるというニュースがありました。
ステルス値上げの一種と言う人もいれば、ここ最近の車椅子騒動に関連させる人も見ました。
バリアフリーという文言がなければ、設備投資の費用を料金に反映させるだけの話。
エレベーターは、誰でも使う可能性がありますからね。
とはいえ、お題目次第で「許せる」「許せない」が変わるのが人情。
「福祉のために」と言われれば、消費税をあげるのを認めるように……。
「海外では~」のフレーズが好きな人も、このケースでは海外における先例には興味なし。
あっ……。
ふと、これを書いていて、「消費税を上げるの反対」と言えば、「じゃ、福祉はいいのか?」という論法にもっていけるから、お題目が軽視できないのかなって側面が思い浮かびました。
ただ、金科玉条の如く用いられているバリアフリーって、目指すべきゴールじゃないと思うんですよね。
「できない」「できる」という状態を見た場合、ゴールは「できる」です。
バリアフリーは、条件付きで「できる」を可能にしているもの。
無条件の「できる」状態には及ばない。
そういう意味でのゴールじゃないという話です。
では、どんなゴールを目指すべきなのか?
言うまでもなく、無条件の「できる」状態。
歩行困難からの歩行問題なし。
それを可能にするのは、病気の克服、身体機能を代用する何か……。
義手義足の進歩の先に、目指すべきゴールがあり、そこではバリアフリーの意味合いが薄れている……みたいな?
まぁ、段差がないほうが、躓きにくくていいでしょうけど、訳あって段差が用意されるケースもありますからね。
「心のバリアフリー」まで定義が広がると、心のありようは人それぞれなので、一概に言えないことだらけ。なので、あれこれ言うのも難儀……。