何の予備知識もなく、海を泳いで国境を超える少年を見れば、同情に似た気持ちが湧くかもしれません。
次に、予備知識として、下のような情報を受け取るとします。
専門家からは、モロッコがスペイン政府に圧力をかけるため、不法入国を容認したとの指摘がある。
不法入国した人を“何の罪もない人”と呼びたがる人もいますが、法的にマズいから不法なのであって、そこに罪はある……。
「でも、彼らには事情が……」「やむを得ない事情が……」と言ったところで、事情は誰にでもあるもの。
ケースバイケースで不法スルーしていたら、法の意味などなくなりますし、ひとつの特例を認めれば「こっちも」と次々に声が上がるのは必至。
このケースバイケースを見極め、許す範囲を条件として決めて法運用。
それなら問題がないように思えますが、今度は悪用する人の対処に追われる……。
悪用と言わないまでも、言葉が通じない、スキルも通用しない、社会規範が異なっている……。
そんな状態では、養われる側になる他はなく、そこに当てられる費用は誰かが稼いだ金。そして、フォローする人の時間も消費されます。
その見返りは「助けた」という満足感くらい。
「目に前にいる困っている人を救う」という行為は、その人が抱えている問題も受け入れるもの。
その人と関係を持てば、その人が敵対している人との関係悪化を生み、その人の仲間を引き入れる結果に繋がる。
ひとつの選択が、数珠つなぎのように、諸々の結果を引っ張ってくるので、難しい選択肢と言えるでしょう。
問題に対して行動をすれば、その行動には次の課題が突きつけられます。
期限と予算、そしてゴール。
「支援を始めます」→「いいぞ! 応援している」
それがスタートだったとしても……
「支援に1兆円かかりました」→「使いすぎじゃね?」「いつまで続けるの?」
……となることも。
「ここで、やめるわけにはいきません。今までの支援が無駄になってしまいます」
→「支援のゴールって、どこ?」
ゴールを決めずに援助を始めると、相手が援助不要になっても求められる可能性があるわけです。
支援していた国が、援助していた国より豊かになっても、支援を断る理由がないもの。
支援=収入。
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人命優先、人権と言ったところで、他の誰かの生活を軽んじるなら、よりベターな選択は何か。
スイス、ホームレスにヨーロッパ各国へ出国できる片道切符を配布。ありえない施策にSNS上で物議
エルドアン大統領は2日夜にもさらにEUに対する圧力を強め、2016年に合意した移民支援金60億ユーロ(約7200億円)に10億ユーロ(約1200億円)を追加するというEUの提案を却下したと発表した。
「金をやるから、あっちいけ」
「金をやるから、お前の国で止めておけ」
「命の尊さ」という大前提は崩してはいけない。
だから、大前提を前面に押し出して、他国へと送り込む……。
その状況下では、どんな一手が有効と言えるのか。
そういった人の国を作る?
いや、それって、リベリア共和国のように……
アフリカ西岸にあるリベリアは、米国での想像もできないような苦境から脱出し、アフリカ大陸に戻ってきた解放奴隷の居住地として建国された。
だから、もしかすると、「解放された有色人種の避難所かつ安息の地」に憲法がつくられたとき、アフリカの血統を持つ人のみに市民権を制限する条項が加えられたのは驚くにはあたらないのかもしれない。
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といったことをチェックしていたというメモです。