メモ書き

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世界をよくする気は、あるのか?

「世界をよくする気は、あるのか?」

誰かの意見に触れたとき、その問いを意見に被せてみる……。
すると、そこに「よくする」という意識が無いことに気づきやすい、かもしれない。

単なるポジショントーク
自己利益のための宣伝。
自分の好きを守り、嫌いを叩くだけの感情至上主義。
その人にとっての不都合を排除し、好都合な方へと誘導する扇動。
根拠のない思い込み。
思考停止による現状維持最善論。
ただ文句を言いたいだけ。

目につきやすいのは、そんな感じの意見。愚痴。不満。

「よくしたい」という気持ちはあっても、誤った認識に基づく親切も、なかなかに迷惑……。

「うちの強みはAだから、Aが売れるように世界の意識を変えよう」という輩がいて、「XXのために、Aを使う意識が必要」と宣伝されれば、それを真に受けて始めてしまう。
「XXのために、Aを使うのがベターか?」という前提すら確認せずに。

* * *

ふと、そんなことを考えました。
で、思い出したのはデザインの話。私の昔話。

「なんか、いい感じに仕上げて」

そんな発注が社内であり、デザイナーが仕上げた後に、「ああだ、こうだ」と文句をいう他部署の人。
終いには、「こんなデザインを持ってくるのは、XXな意識が足りないからだ」と言い出す。

しかし、そのデザインを見た社長が「あら、いいじゃない」と言えば、「そうですね、私も実は……」と手のひらクルー。
XXな意識は、どこへ行ったのだろう?

結局のところ、文句を言った人に確たるビジョンは無く、自分の好みじゃない、あるいは想定外だから、あれこれ言った。
もしかしたら、自分が絶賛した後に、社長が「なんで、こんなのにOKを出したの」と言われるのが、怖かったのかもしれない。

で、デザインでは、いつも揉める。

デザインには、答えが無いから。
いやいや、発注の際に明確なイメージが無いからだ。
デザインの専門家じゃないから、イメージとか言われても困る。

そんな意見が飛び交うのが定番。
そして、決着がつかずに終わる。
あとは同じ問題のループ。

だから、退職時にメモを残した。

『デザインで揉めるのは、目指すべき具体的なビジョンが共有できていないからだ』
『目標すら不明なのに、ゴールは目指せない。必要なのは、ゴールの設定』

そうだ。
ゴールを設定しないまま、走り始めても終わりは見えない。
最悪、逆走していることもある。

まぁ、そんなことを言ったところで、会社は何も変わらなかったし、そんな期待もしていない。
ただ、そういった言葉を、組織にいるうちは言い出せなかった自分を思い出すだけ。

それが悔しい?

ちょっと、違うかな。
組織に組み込まれれば、私は自分の意見を二の次にし、波風を立てない無個性に陥る。
そういう性質があるから、離れて正解なのだという自覚。
あの頃の「辞めたい」は、自分を失い続けることへの焦りだった……。
そんな風に思い、感傷に浸ったというメモ。

でもって、その日見たニュースなんかに場当たり的に意見を述べていくよりも、自分が思い描く「よりよい世界」を軸に、意見を展開していく方が有意義ではないか。
そう思ったというメモ。