チラッと目に入った球児の涙。
テレビに映されていたのは、グランドに寝転がり、腕で目元を覆って泣く姿です。
甲子園を目指して練習してきたのに、それが中止になって……。
そこにある悔しさ、憤り。
彼らのことを思い、共感する文章は他の人が山ほど書くでしょうから、別の視点で見てみます。
彼らが泣く姿を見て、甲子園の砂を掻き集めているシーンを思い出しました。
毎年、ここぞとばかりに映すアレ。
何なんでしょうね……。
メインは試合なのに、使われる映像として多い砂集め。
そこには「絵」として魅力。
言い方を変えれば、「元祖 インスタ映え」的な要素があるのかもしれません。
何度も映すものだから、負けたら砂を集めるのがお約束になった。
まるで、他の人の写真に触発され、同じ光景を撮ろうとするように……。
* * *
で、テレビ「甲子園の中止で、いい絵が撮れた」です。
わざわざグランドに寝転び、泣きますか?
その球児、中止が伝えられたとき、室内にいたんですよ?
外に出て、寝転んでとか、リクエストしてないよね?
そんな風に思ったのが一つ。
もう一つは、自粛の影響で「名店が閉店」だと、スタッフの涙を撮りたくて仕方がない。
「いい絵」を撮るため、あの手この手を使い、彼らの最後を「映像素材」にしてしまう。
そんなやり取りが、あちこちで起こっているんじゃないかってこと。
もし、それが杞憂じゃないのなら、オリンピックの中止で狙うのは、選手の涙です。
発表の瞬間、現場にメディアを入れるということは、見世物になるのを覚悟しないといけない。
だから、最低でもスポンサーのロゴ入りユニフォームは身につけないと、広告塔としての価値は半減してしまう。
そんな話。