メモ書き

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「ポジショントーク」する人は「無能」を使う

「〇〇は、無能」

そんな物言いを文章でも見ますし、動画などでも耳にもします。

言葉こそ「無能」ではないものの、似たような意味合いで使われる単語もあります。
例えば、ニュアンス的に蔑称として用いるネットスラングですね。

で、そんな「無能」愛好者を見ると、人を無能と言い切れる自信は、「どこから来るんだろう」と思うんですよ。

無能とは、能力や才能がないこと。役に立たないこと。

会ったことがない人の能力すら、全否定ですよ。
よほど、能力査定に自信があるんでしょう。
その人の能力の問題なのか、所属している組織の問題なのかも不明なのに、嫌いなら「無能」と言い切ってしまう……。

あぁ、そうか、感情の問題なんだ。
冷静な能力分析があるわけではなく、「嫌いだ」と同義で「無能」を使ってるのか。

書いていたら、そんな風に思えてきました。

それだったら、門外漢が専門家を「無能呼ばわり」しても不思議はない。
政治分野なんて、未経験者が経験者を「無能呼ばわり」してますからね。考えようによっては、凄い業種……。

でもって、「無能」愛好者が「無能呼ばわり」を始めるキッカケは、その人にとって不都合な存在が、「無能呼ばわり」している人を「好き」なケースが多いんですよね。
私の目に入る範囲内では。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

好きな人が好きなものは、好き。
嫌いな人が好きなものは、嫌い。
嫌いな人が嫌いなものは、好き。

アンチと信者のオセロゲームですね。

なので、文章でも動画でも、「無能」愛好者と知ったら、そこで読むこと、または聞くことをいったんやめます。

「OK。あなたのポジションは、そっちね」

と、心を整理をし、その分を差し引くわけです。

ポジショントークしている人は、自分に不都合な情報を出さず、都合の良い側面を強調するんで、受け取り方のバランス調整ですね。

動画のコメント欄などでは、そういう点を指摘して、投稿者がストローマン論法で返しているケースも見ました。
下のは、会話になっていない例ですが、極端に言えば こんな感じ。

「この根拠は何ですか? ソースは?」
「根拠には、根城と言う意味もあるんですよ。ソースって、元々の意味は塩味です」
「この根拠は何ですか? ソースは?」
「だから、根城は塩味なんですよ」


あと、YouTubeだと「収益化」絡みでの話題があり、「収益化」できないと叩いている相手の妨害だと捉えるケースが多いようです。
特に、音声ソフトの解説動画。

「BANされた!」
「奴らの仕業だ」
「ヤバイことやってるから、いつ消されるかわからない」
「それでも続ける〇〇さん、応援してます!」

コレ、よく見ます。

う~ん……。

パターン学習じゃないかな?

あまり詳しくないけど、同じキャラ使ってるよね。頭だけの。
商業OKのフリー素材だとして、大量に使われれば、同じコンテンツと見なされても、不思議は ないんじゃないの?

その素材を使って「不適切じゃない価値のある動画」を作っていても、他の人が同じ素材を使って「無価値な動画」を作っていたら、「同じ」と認識されて葬られることもあるんじゃない?

そう思ったって話。

「猫」の画像をたくさん見せて「猫」を学習するなら、「悪い例」を「何」で学習したのかが重要でしょうから。

なのに、「奴らの仕業に違いない」とくれば、「無能」愛好者は常に戦っているんだなと、気の毒になります。

何らかの主義主張をする場合、ポジショントークになることも多いでしょう。
ただ、「無能」愛好者から情報を得るデメリットは少なくないので、情報処理に頭を使いたくないなら、避けた方が無難かもしれませんね。

「情報処理に頭を使う」=「疑う」という話。

「本当かな?」を捨て去り、鵜呑みにしたら、洗脳を受けるようなもの。
そういう意味で、マスコミに向けていた疑いの目を、なぜ個人の投稿者には向けないのか。そう思えなくもないです。

そのうち、動画キッカケでカルト集団ができないかと、心配になるくらい狂信してる人も見ます。


余談ですが、マスゴミとか言ってる割に、日本人の「メディアへの信頼度」は高いという話もあります。

www.newsweekjapan.jp



逆の話もありますけど。

prtimes.jp

 


調査の仕方によって、変わるんだろうなぁ~。

なお、前者の元ネタは世界価値観調査、後者はオンライン調査です。