メモ書き

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eスポーツがスポーツ足り得る理由

「スポーツは体を動かし、汗をかくもの。ゲームはスポーツじゃない」

それがテレビ局が求める街頭インタビューの答えなのか、似たような発言を何度か目にした。

その反論として、「sport」を辞書を引くと出てくる「競技」としての見方や、海外での捉え方を主張する声も聞く。
辞書では、娯楽、楽しみ、冗談、ふざけ、からかい、なんて意味も出てくるんだけど。

まぁ、スポーツの定義は「学者の数だけある」らしいので、定義について語るのは不毛だろう。

正直、昔から続くアニメやゲームを叩く論調の延長に思えなくもない。
だから、それが好きな人にとっては、自分が攻撃されている感覚になるのかもしれない。そうじゃない人にとっては、嫌いな存在が自分が好きな「スポーツ」という領域に入り、同一視されるのが嫌なのかもしれない。

あまり興味がないので、そんな感じかなと思ってしまう。

ただ、スポーツの歴史を考えると、狩猟や戦争という要素が出てきて、そもそもの捉え方が変わってくる。

スポーツには、生物を殺傷するために作られた道具を使う競技がある。
例えば、槍投げ
時代が進んで、ライフル射撃

時代が進むにつれ、人の武器も変わったように、競技が増えているとしたら、eスポーツの見方も変わるだろう。
こう書くとアホっぽいが、“乗り物で戦った”時代を経てのモータースポーツ
その続きとしてのeスポーツ

ピコピコが戦争にと思うかもしれない。
だが、争いに無人機(ドローン)は使われている。

人が戦闘機を操縦するのであれば、身体的な限界を超えた軌道はできないが、無人機なら可能。人が乗らない分、小さくもできる。

遠隔操作が厳しい環境なら、自分で判断して行動できるよう、機械に学習させるまで。
その際、相手とうまく立ち回れるようにするには、優れたパイロットの技量が不可欠。言い換えれば、優秀なパイロットの行動データが要る。
ゲームというプラットフォームを借りて、そういったデータを収集するとしたら、争いとスポーツの歴史に追記するには、充分な要素を含んでいるのではないか。

そんな嫌な話。

たまに、第三次世界大戦を予想している人も見るけど、これだけ相手との関係性が複雑化した今となっては、攻撃することでの不都合が予想できない分、「第三次」とナンバーリングできるような事態にはならない気がする。
自国の被害なく、相手をと考えると、サイバー攻撃を選ぶかもしれない。そうなると、次なる戦場は電子の海。なんてね。