メモ書き

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悪役は、なぜ「愛」を否定するのか

「何かを愛せば、それが弱みとなる」

何かを庇って傷ついたヒーロー、またはヒロインに、悪のボスが言いそうなセリフですよね。

何度か、似たようなシチュエーションで、似たような言葉を言っているのを聞いたことがあります。

それに対するヒーロー側の答えは、

「愛することで、強くなれる」

……みたいなもの。
守るべき存在があるから、強くなれるとか、そういう理屈。

強さは、強さでしかない。
守るべきものがあっても、敗れ去った例は数多くあるので、まったく論理的じゃないよね。

言い方を変えれば……

「守るべきものがあれば、人は強くなれる!」
(⇒守るべきものがあるのに、弱いのはおかしい)

ハッキリ言って感情論に近いけど、「体育会系ノリの感情論」を嫌悪する人でも、自然と受け入れている定番の台詞かもしれません。
これを「文科系ノリの感情論」とでも言いましょうか。

なんで、こんな「文科系ノリの感情論」を展開するのでしょう?
それは、「好きな存在の為なら、貧乏も怖くない」というクリエーターの虚勢ではないか……。

崇高な何かを仕事としているから、強くいられるッ!
圧倒的、自己肯定。
ブラック企業で生き抜いていく精神構造の獲得。

それが「愛」として、表現されているのかもしれません。
業界に対する愛、作品に対する愛、創作に対する愛。
それこそが自分の存在を肯定するものなんだと……。

さて、ここで悪役に立ち返ります。

「何かを愛せば、それが弱みとなる」

「愛」のウィークポイントを突き、その意義を問うセリフ。
ここで注目すべきは、「愛」を理解していること。

「愛とは、なんだ?」

といった類いのセリフを吐き、最終回で倒される際に「理解するパターン」も王道でしょう。
一方で、明確に「愛」を否定するタイプは、「愛」を知っています。
おそらく、かつて「愛」を知り、「愛」に絶望し、違う「答え」を見つけたのでしょう。

だから、「愛」を否定した。
故に、「お前も否定しろ」と言っている。
でも、心の奥底では「愛」を信じたかった……。

心情を描きやすいパターンとしては、こんなところですか。
それなら、「愛」を全肯定する「文科系ノリの感情論」支持者にとっても都合がいい。
なぜなら、創作への愛に挫折し、諦めにも似た絶望を抱き、「愛」を否定しようとした経験があるから……。

でもって、今も書き続けているからには、再び「創作への愛」に目覚めているのです。

* * *

繰り返されるテンプレートには、作り手の環境が関係している。
言ってしまえば、それだけの話。

何かに対する愛は、別の何かを愛する者との対立を生む。
愛がある故に、人は争う。だから、愛を否定する。
待て待て、確かにそんな一面もある。でも、それが人なんだ。

こんな禅問答を繰り広げる作品があっても……と書いたところで、「ウザくて嫌だな」と思いました。

「ハッハッハ、俺は悪い奴だから世界征服するぞ」
「そんなことは、させない! それがヒーローの仕事だからな」

この流れの方が、気楽でいいですよね……。

世界なんか征服したところで、管理が大変なだけで、うまみは少ないと思うんですけどね。

ハンドルに遊びがあるように、ボルトとナットの間のワッシャーのように、思想が違うデカい国同士の間には、緩衝地帯が要るもんです。
あっちもこっちも潰して、直接ぶつかり合ったら、痛いだけ。

ヒーローも悪のボスも、緩衝地帯でも設けて、あまり干渉せずに互いの理想を求めればいいのにね。
「多様性」を求めるならば。


ヒーロー「ならば、多様性こそ悪だッ!」