メモ書き

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セーラームーンに出てくる妖魔が、女性型になる理由

劇場版「美少女戦士セーラームーンR」を見ました、途中まで……。

初見の方が絶賛している日記を見て、「アマプラにあるし、もう一度 見てみるか」と視聴開始。

10代の頃は普通に楽しめたはずなのに、冒頭の「正義の味方、やってま~す」なノリを見てキツくなり、一時 視聴停止。
今は、そういうのを楽しめる気分じゃなかったんだろうなと思い、何日かして再視聴。

やっぱり、気持ちのチャンネルみたいなものが、「楽しむ」に合わせられない……。

結局、中盤くらいで見るのをやめることに。
ラストで あの曲が流れて感動した記憶があるのに、何ででしょうね。

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で、タイトルの「セーラームーンに出てくる妖魔が、女性型になる理由」について。

男性キャラに、うさぎが押されるようなシーンがあったと思うんです。「どけっ!」みたいな。

そこで、変身前のジュピーターが「女の子に暴力を振るうなんて最低よ」と言うわけです。これが、「妖魔が、女性型になる理由」ですかね。

なんてことのないシーンで、珍しくもないセリフだと思います。
「女子供」と一括りにされ、弱者側として守られる側にいる。そんな存在に、暴力を振るうとは何事か……。
そういう意味で「女の子に暴力を~」は、使われてきた台詞だと思います。

でも、彼女たちは何でしょう? 戦士です。
自ら そう言っているので、間違いありません。

この後、「戦士」として敵を攻撃するのに、最初に「性別」による防御を図っているのです。あの台詞によって。

「女の子に暴力を振るうなんて最低よ」

これじゃ、攻撃できません。ふるうと、最低になってしまいます。
というか、相手が誰だろうと、基本的には暴力をふるうのは最低です。
そういう意味では、「暴力を振るうなんて最低よ」だけでいいのですが、その前に「女の子」を付け加えることで、自分たちの特別性をアップしています。

悪役なら、その「最低」を引き受けるべきでしょうが、敵は「最低」を回避するべく、別の戦術に打って出るのです。

こっちも「女の子」なら、「最低」にならなくね?

ということで、相手は女性型の妖魔を繰り出します。

今回は花モチーフというか、植物系妖魔でしたが、TVシリーズを通して、女性型が多かった印象です。
個体数は数えていないので、あくまで個人的な印象。

女性型でないと、見ていて“感じが悪い”のかもしれません。
それは、子供向け番組で血をドバドバ流さないとか、性的な表現を抑えるのと似た“配慮”に通じる気がします。

男性の敵キャラもいますが、戦闘シーンを思い返すと、不気味な女性型の妖魔ばかり蘇る……。
もし、あの妖魔が男性型だったら、見るのが辛くなる人も、いたかもしれません。
例えば、「男性の敵キャラ」を何らかのメタファーとして捉え、それに攻撃を受ける主人公たちに、自分を重ね合わせる人とか……。

男性型ではなく、異形の存在にした場合、その気持ち悪さから、視聴をやめる人も出たかも……。そう考えると、女性型妖魔がベターのだったのかもしれません。

考えすぎですかね。
きっと、考えすぎでしょう。

こういうところから、作品に制限をかけていくというか、定番化したスタイルが生まれていくような気がしたという話です。


* * *

「女の子」という性別を持ち込むことで、相手の戦術を限定する手法は、現実にもあります。
ナイラ証言が、少女ではなく、屈強そうな青年によるものだったら、「お前は、そこで何をしていたんだ」と突っ込まれたことでしょう。

少女だったので、子どもが嘘をつくはずがないと、否定的な見解を封じ込めやすかったこともあるでしょう。

「泣いている女の子の証言を信じないなんて、最低よ」

で、戦争へと舵を切ったわけです。虚偽の証言なのに。

「保育器に入った新生児を取り出して、冷たい床に……」

振り返ると、妙な感じですよね。
場面を想像すると、違和感があります。

あなたは、よく無事でしたね……と。

最近、この証言を思い出させたキッカケになったのは、ランボーでした。

赤ん坊殺しと揶揄されたという台詞を聞き、戦争が絡むと、批判対象が“どんだけ赤ん坊に酷い扱いをしたか”が争点になり、同じような展開を見せている気がしたのです。

* * *

「子どもが、そんなことをするはずがない」

この思い込みが、最悪の事態を招くケースもあるでしょう。
皆がそう思うなら、悪い奴ほど その心理を利用して、突いてくるもの……。

例えば、子どものテロリスト……。

また、推理ドラマなどでも、「子どもに、これは持てないだろう」で、容疑者から外されます。
しかし、小学校で「滑車」や「テコの原理」は、習っているんじゃないでしょうか?

だとしたら、重いものを動かす術は、知ってるはず。

「XXが〇〇をするはずがない」を突くのが卑怯者。
紳士を気取っていては、ヒーローは できないでしょう。

卑怯者は、守るべき対象を攻撃者に変えるものです。


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余談ですが、セーラー戦士と、同時期に活躍されていた戦士として、Z戦士の皆さんがいます。
セーラー戦士と比べると、仲間内での戦力格差が激しい……。

セーラー戦士が、それぞれの役回りで戦うのに対し、Z戦士さんは噛ませ犬さんが前座を務め、主人公さんが真打として登場し、場を盛り上げるスタイルを取っています。

自分を鍛えることや技の習得にストイックで、使う技が被ることも少なくありません。
その辺が、個人技のセーラー戦士とは、趣が異なります。

縦社会と横社会。
そう表現すると嫌な感じですが、違う視点で見ると、別の楽しみ方があるかも……。

今回、久しぶりにセーラームーンを見て驚いたのは、ヴィーナスが戦闘の指揮っぽいことをしていること。
TV初登場時は、確か単独で行動していて“かっこいい”存在という演出でしたが、いつからか「アホの子」のイメージが強くなっていました。なので、意外だったと……。

イメージが強まったのは、タリスマンが奪われたときですかね。
あと、テストの点数が うさぎレベルだったような……。

戦闘の指揮と言えば、「今よ、セーラームーン」と、みんなから指示を出されて、大変だなぁ……と思いました。
まぁ、いきなりフィニッシュにするより、ホップ・ステップ・ジャンプの手順として、まずは「みんな、変身よ」で変身してからの個々の技、弱ったところで「今よ、セーラームーン」で盛り上げ、フィニッシュ技を決める。この様式美が大事なんだと思います。

なんか、まとまりのない文章になりましたが、女性型妖魔が多い説を書いてみました。
それだけの話。