正月になったら、何もしなくても金が貰える。
大人に会えば、金が貰える。
だから、たくさんの大人に会いに行く。
渡さない大人は、問答無用でケチ扱い。
子どもだからという理由で、一方的に金を奪う。
これは、子どもによる搾取行事だ。
ハロウィンだって、「いたずらしない」のと引き換えに、「お菓子」をもらっている。
お年玉は、「何もせず」に「お金」を貰っている。費用対効果が半端ない。
大人になって、何もせずに お金を得るのは、生活保護くらいのもの。
それは「今のままでは、何もできない」から、「何かできるよう」に渡される“誰かが稼いだお金”である。
不労所得だって、資産と呼べるようなものを得たから、収入となっている。
でも、お年玉は何もせずに大金が舞い込む。
子どものうちから、「何もせずに大金が舞い込む」ことを覚えていいのだろうか?
そう考えると、「お年玉は、教育に悪い」という発想に繋がっていく。
大人になったら不可能な金銭の獲得法を教えるのは、害悪である。
それは小遣いも同じ。
ベーシックインカムが導入された社会なら話は別だが、お金は労働の対価として受け取るケースが多い。
その働きに見合った金額が貰える。
同一労働同一賃金。
そういう社会にいるなら、子どもの年齢で額を変えるのではなく、家族の役に立った分だけ払う方が、社会に出る準備と言えるだろう。
年功序列が終わるなら、というか終わらせたいなら、小遣いのあげ方も問われるべき。
小遣いの額が年功序列で決まるなら、社会に出てからも、それを要求するだろう。
三つ子の魂百まで。
子どもの頃に、不自然な物の与え方をすべきじゃない。
社会の仕組みに反するルールを家族内に用いるべきじゃない。
でも、だからって、「常識」となった「お年玉」は避けらない……。
と、なるだろう。
そこで、商品券を提案する。
人生、楽しみがないと、生きる意味を見つけられない。
楽しみがないと、働く意義も薄れる。
だから、小さいうちに「意地でも生きたい」と思える「楽しみ」を付与する。
「楽しみ」も知らずに、「大人になったら、馬車馬のように働くんだよ」と言われたら、死にたくもなるだろう。
先に「楽しみ」の味を教えておけば、「ガッツリ稼げば、この楽しみを好きなだけ味わえる」という発想になるかもしれない。
馬車馬になるには、まずはニンジンの味を覚えないとダメだ。目の前にぶら下げられたニンジンが、いかに旨いかを知らなければ走れない。
ということで、何か楽しそうな経験ができる商品券を贈るのだ。
間違っても、中毒性が高いものはいけない。
摂取量に限界がある「美味しい食べ物」辺りにしよう。
アイスの商品券なんかをもらい、早速使おうとする。
「寒いから、きっとすいているだろう」と思ってると、予想外に混みあっているわけだ。
そこで言う。
サーティワン アイスクリームが1年を通して一番売り上げが高い日は“元日”だ
引用元:サーティワン アイスクリームが “元日” に1年で一番売れる理由 | ORICON NEWS
暑い日にアイスはわかるけど、寒い時期にアイスが売れるのは、なぜ?
これは真面目に考えれば、学習課題にもなるだろう。
記事の引用元にあるような「正月のだんらん説」を主張するなら、なぜ暑いうえに人が集まる「お盆」の売り上げ話が出ないのかに突っ込むべきだ。
まぁ、夏場は暑いから、溶ける心配があり、大量に買う気にはなれないとか、その辺だろうけど。
余談だが、私はアイスを食べない人間である。
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