嫌な人の話をされると、嫌な記憶も蘇る。
だとしたら、嫌な人の話をする人からも遠ざかりたい。
あるいは、そういう話題にならないような関係性になりたい?
そう考えると、共通の知人として嫌な人が存在する相手とは、もっと優先して話したい何か。
例えば共通の趣味なんかを用意したほうが、不愉快になるキッカケを減らすことになり、幾分かは幸せになるんじゃなかろうか。
みたいなことを思ったというメモ。
嫌な人の話をされると、嫌な記憶も蘇る。
だとしたら、嫌な人の話をする人からも遠ざかりたい。
あるいは、そういう話題にならないような関係性になりたい?
そう考えると、共通の知人として嫌な人が存在する相手とは、もっと優先して話したい何か。
例えば共通の趣味なんかを用意したほうが、不愉快になるキッカケを減らすことになり、幾分かは幸せになるんじゃなかろうか。
みたいなことを思ったというメモ。
マイナス金利の解除は、情報として小出しにされてきたので、市場的には驚きはなく、想定通りの展開。
でも、それって どうなの? 関係者からすればインサイダーを疑われるリークじゃないのか?
かといって、情報バルーンを上げずに動いて混乱しても……。
そもそも、金利を上げるアクションは、理由を賃金アップにするなら実際にアップ後に必要な調整分だけ行うべきもの。それを この段階で……。
というか、マイナス金利の効果はサッパリだったから、理由をつけて早くやめたかっただけでは?
みたいな意見を耳にしたというメモです。
マイナス金利自体は、私らが利用する銀行が日銀に預けておくとマイナスになるんで、マイナスになるくらいなら誰かに貸そうみたいな流れを期待してのもの。積極的融資に繋がって金融緩和という話。
銀行からすれば、解除された方が何かと良いに決まっている。
で、解除後に速攻で金利を引き上げたくらいには影響があるというか、この準備していました感は何だよ。
三菱UFJ銀行、2年間通帳記入無しで「紙通帳」を自動廃止
年0.02%になっところで、楽天銀行には及ばない。
楽天銀行のマネーブリッジ利用者なら、普通預金残高1円~3,000,000円まで0.10%、3,000,000円を超えた分は0.04%だ。
* * *
一方で、金利が上がることで支払いが増える人や企業もいると。
コロナ禍のゼロゼロ融資も切れる頃なので、資金繰りに困るところも増えそうな時期。ダブルパンチとなるケースもあるでしょうけど、見方を変えれば余剰人材の放出とも受け取れる。
経営者における罪深さには種類があり、ある人は「雇用の維持ができないこと」をあげ、別の人は「時間の浪費」をあげる。
前者は、ゾンビ企業と化した状態でも、雇用を維持することに意義を見出す。
後者は、ゾンビ企業となること自体に罪の意識がある。
人の時間が有限なら、その有限な時間を費やす作業には、それなりの価値があるべきだ。
無価値な作業に時間を費やす、あるいは費やさせるのは、優れた者のするべきことじゃない。
それを踏まえたうえで考えると、稼げない仕事をさせるのは罪だ。
その時点で価値の低い労働であり、将来的な稼ぎも不安定になるからだ。労働者の機会と時間、将来の可能性を奪っている……。
ゾンビ企業と化した状態で数年の延命を果たしても、そこで働く従業員の視点で見ると、数年の働き口を得るのと同時に、将来的に役立たない労働経験が増え、稼げるスキルを身に着ける機会を数年逃してしまう可能性も高まる。
いっそ、さっさと潰して新たな可能性を模索させた方が、傷口が広がらないで済むと……。
そんな話が浮かんだので、メモしただけ。
以下はオマケ。
* * *
タダ働きするから、日本のGDPが上がらない。
* * *
怠惰な国民は、努力に見合わない報酬を要求する。
怠惰なので、自分より稼ぐ輩を妬む比率も高く、落ちてくるのを底で待っている。みんな横並びの財産共有主義を叫んで、平等に分配を期待して誰かを選びあげ、その分配者が権力者となり、やがて独裁を始める。
その独裁にマズさがあっても根が怠惰なので、誰かが何とかしてくれることを期待し、独裁国家は いつまでも独裁国家のまま。
* * *
水がないと工業国にはなれない。
タイトルに対する回答は「スプーンで食え」になるんだけど、それはそれとして日記みたいなメモを。
事の発端は、うっかりクレープを買ってしまったこと。
食べるのは、久しぶり。
毎月9.19.29日はクレープの日らしく、420円になっていました。
対象の商品に限りますが。
選んだのはブルーベリーレアチーズケーキですが、本題には関係ありません。
サイトを見たら、タピオカドリンクのトッピングフロート無料クーポンがあったけど、それもどうでもいい。
5円で有料の持ち帰り袋を選んだことも、どうでもいい。
問題は、一口かじった瞬間に気づいてしまった件。
「これは、可愛く食べられるスイーツじゃない」
これ。
外国の人が出る番組で「原宿で可愛いクレープを食べるのが夢だったの」という発言が蘇り、クレープに対するギャップが膨らんでいった感じ。
だってほら、大きく口を開けてかぶりつく姿は可愛くないし、かといって小口でパクついても餅っぽい生地は噛み切りにくいから、口元が力んでしまって可愛くない。
これでは、可愛い食べ物を可愛く食べたいと願った人の夢は、打ち砕かれてしまうのではないか……。
と思うと同時に、私の前の客がスプーンをつけられていたのを思い出した次第。
確か小学生くらいの女児と、その母と思しき人でした。
包み紙にプラスチックのスプーンが添えられていたので、あれで少しずつ食うのなら可愛く食べられるかも。
ただ、如何せん生地を噛み切るときの力みは必要そうなので、そのときの顔が見てみたくなった……。
口元を隠して食べていたら、それはそれで面白い。
まぁ、何というか、子供が食う分には、元気よくかじりついて、ほっぺたにクリームでも付けてる方が、可愛いのかもしれないけど。
つまりはそう、その人の属性次第のなのだ。可愛いのかどうかなんて。
ビール腹のオッサンなんか、食ってるだけで可愛く思えるでしょ? 人によっては。
* * *
軽く検索したら、トピックとしてあるようなので、割と気にしている人がいるようですね。
話題は変わりますが、前に感想を書いた飲料が半額ワゴンセールで44円になっていました。
あの味だと、人気でなさそうですもんね。リピートされないだろうし……。
と書いておきながら、1本買いました。
自分がディスったせいで売れなくなったとかいうほど影響力はないつもりですし、罪の意識みたいな感じでもないですが、うっかり買っちゃったんですよね。美味しくなかったのに。
「いろんな体験をしないと、面白いものは描けない」
というのは、ありがち創作論だけど、半分くらいは間違っている……と思っている。
多くの創作者や役者は殺人を犯していないけど、そういうのをやっているんだから、体験と創作は別もの。
そういう前提を踏まえたうえで、残りの半分は当たっている点について、自分の考えをまとめてみる。
端的に言えば、現実体験は思考ステージの変化ではないだろうか。
どういう視点でモノを見て、どう捉えるのかという話。
例えば、若くしてデビューした漫画家だと、会社というステージを経験していない。
なので、学校という経験済みのステージを舞台にした物語に、等身大の主人公を投入するのは楽だけど、未経験の会社という舞台で似たようなことをするのは難しい。
そんな理屈。
未経験であっても、経験者への取材やら何やらでリアリティを得られるのなら、その才能も含めて立派なわけだけど、これは創作能力というより取材力な気もしないでもない。
一方で、ステージが変化してしまうことで、読者の目線から離れてしまう危険性もある。
キッズ受けの良い作品を目指すなら、よりキッズに近いステージの目線を持った人の方が、感性が近いので刺さりやすいのかも。
その熱狂的ファンだったキッズも年を重ねてステージが変わり、目線が変わると楽しんでいたはずの作品が面白くなくなっていく……。
この現象もまた、思考ステージの変化と言えなくもない。
「いろんな体験しなくても、面白いものは描ける」
そう言っている人は、同じステージの作品ばかり描いてやしないか。
気になるのは、その点。
でもまぁ、需要があるんであれば、それはそれでいいんでしょう。
ステージ云々以前に、物語を描き切るだけの情熱と努力、それを継続する意思に比べれば、体験や才能も取るに足らないことかも。
こういうのを書いていて思うのは、万人受けする人は天才ではなく、多くの人と同じような感性を持った凄い人なんだと思う。
天才っていうのは、常人の思考の範疇にない感じで、自分の感性と他者の感性がズレていて、孤独なタイプなんじゃないかと……。
「この面白さを誰も理解してくれない」
こういうのが、たぶん天才。
商業的には落第生だけど。
物事にはメリットとデメリットがある。
例えば、情報を得ることのメリットは、単純に知識が増えること。
デメリットは、その知識が正しいとは限らないこと、そして発信者のバイアスがかかっていること。
その流れで歴史を学ぶことについて書くと、メリットは知識くらいしかない。
時の権力者の日記をみたいなものを史実として学んだとして、そこには権力者による発信者バイアスがかかる。
過去の出来事を参考に、後世の生活を優位になるなんてことが少ないのは、歴史家が世の中を動かしてないのを見ればわかる。
そう、だから知識が増えるだけ。
その少ないメリットのわりに、最悪なデメリットが存在する。
それが争いの火種だ。
過去に自国が侵略を受けた事実を知り、まるで自分が被害を受けた感覚になって、やり返さないと気が済まないとなったら、無意味な動機付けになっていまう。
この際、攻撃する側は「ただの加害者」であり、攻撃を受ける側は「ただの被害者」である。
その国の誰かが自分の遠い祖先を攻撃したとして、その攻撃を加えた当事者は生きていない。この時点で復讐は成立しえない。
なのに、問題とした攻撃の復讐として、その国に生まれただけの人を攻撃する……。
「お前の遠い祖先が、俺の遠い祖先を傷つけた」
そう言ったところで、向かい合っているのは無関係の二人だ。
ただ、そこに生まれと者同士の意味不明な衝突なのに、このぶつかり合いが次の「問題となる攻撃」となり、連鎖が続いていく。
* * *
なので、大きな戦いがあって悲惨だったので、これ以降は今ある領土を区切りとして、どこも拡張も縮小もしないルールとしましょう。
ってな具合に、区切りを決めて前に進まないとダメなわけだ。
「我が国の黄金期、お前らの国は我が領土だった。だから、侵攻する」
そう言って都合のいい時代で区切って領土拡大するのは、バカが歴史を教わったせいだ。
区切り方次第じゃ、お前の国はモンゴル帝国の一部じゃないかとなる国でも。
* * *
ということで、一部の研究者以外は過去なんか忘れて生きたほうがいいでしょってね。
まぁ、一斉に歴史授業の放棄をしないと、どこぞの独裁政権が都合の良い自国の歴史を教え、普通の歴史を教えてる国に「間違っている」と言い出すかもしれないけど。
自国の政治への不満を逸らすため、悪い世の中は「隣国のせい」と教える感じの……。
反日教育リスクって、そういう意味での厄介なんだけど、内政不干渉で終わるんだろうな。文句も言わずに。
* * *
ああ、あと、かつて植民地支配をしていた西欧は、彼らの逆襲にあわないために、そこで何を教えているのかチェックしておいた方がいいかもね。
統治していた頃は、宗主国マンセー教育していたでしょうけど。
地雷の除去には幾つかの方法がある。
人が乗る機械を用いた方法、人が持てる機械を用いた方法、素手に近い方法、地雷としての役目を果たす方法。
最後のは、踏むということ。もちろん、そこには犠牲が存在する。
誰かが指示して踏ませたのなら、それは非難されるべきことだが、勝手に踏んで爆発したのなら、それは誰を責めるべきなのか……。埋めた相手?
ということで、地雷原に金塊を撒く話。
金塊の空中散布動画とセットで、配布位置を知らせれば……あるいは、金塊につけたGPS発信機の情報を付ければ、それを見た人の中に「行こう」とする者が現れるかもしれない。
そりゃ、金塊がタダで手に入ると思えば。
厳密には、金塊といっても三菱のロゴ入りと、そういうのが無いのだと価値が違うんだろうけど。
それでも、グラム数で買い取る系なら売れるでしょ。多分。
で、現地に行ったら目的を果たさずに、地雷を踏んで終わるかもしれない。
それでも、その道中で地雷を処理した分を含め、数を減らすことに貢献できる。
誰に指示されたわけでもなく、自発的に動いた結果として。
このバラ撒き情報を敵側だけに伝えたとしたら……。
不法移民の集団だけに伝えたとしたら……。
犯罪者集団だけに伝えたとしたら……。
そう考えると、税金を費やす対象が減り、かつ地雷の数も減ることに。
コスパ的に、金塊よりも安いと思えるかもしれない。
* * *
何というか、最近の戦いはコスパ戦争に思えてくるところがある。
億単位のものを数万単位の兵器で破壊した。コスパ的大勝利……みたいな?
そうなると、安い人件費は何にも勝るコスパを生み出しそうだ。
この辺が、「もう先進国は、戦争をしない」と思えてくる理由の一つ。
人件費が高いうえに、教育にかけている費用が違うし、何より死を覚悟して戦うメンタルが形成されにくい。無法都市の方が、暴力への抵抗感がないみたいな理屈。
まぁ、相手が見えない状態での攻撃なら、そういう葛藤や迷いも薄れるのかもしれないけど。
とはいえ、民主国家であれば、世論という支配者が存在するので、それだけではない。
やらなければならないという同調圧力も、世論みたいなものだし。
話をコスパ戦争に戻すと、何も先進国だけの話じゃない。
テロという手法も、ある意味ではコスパ戦争が生み出した産物。
超大国に正面からぶつかっても、何の成果も得られない。
だから、関連する民間の船舶なんかを攻撃して、“いやがらせ”をする。
超大国の軍隊なんか相手にしたら、何の成果も上げられずに兵器を失うだけだもの。
一方で、その超大国の軍隊にしても、犠牲者が出ると世論がうるさいので、民間軍事会社に頼んで「国としての責任」を軽くする。
そう、戦うのは傭兵であって、国家の軍隊じゃない。
そのうち、正規軍がポリコレ弱体化でもした上に、実戦経験がない集団となって、傭兵が主導権を握るようになった末に国家を名乗ったら……。
名乗ったら、新しい物語の始まりだね。
ということを考えたというメモ。
14億人の雇用不安とか、最悪でしょって話。
いやね、人口ボーナス云々の成長論が叫ばれると、逆張り的な論拠で注目をあびようとする人が出るんだけど、それが現実のものになったら悲惨だぞって思うわけですよ。
人口ボーナスによる経済成長は、子供と高齢者に比べて労働力人口が多いから起こるものだけど、肝心の働き先がないと無職が増えるだけなので、数の分だけオーナスになってしまう。
職があっても、働く気持ちがないと同様に……。
高齢化していなくて、労働力人口が多くても、思ったように経済成長していない国は、稼げる職か働く意欲がない。
そう言い換えることができる。
億単位の労働力人口を活かすことを考える場合、その数の特殊技能者を用意するのは困難。
誰でも出来そうな仕事を大勢でやる。行きつく先は、これだ。
なもんで、世界の工場と化すのが最初のステップ。
問題は、意識レベルが国によって違うので、こちらの普通が通用しないこと。
時間を守らない、質が悪い、身分制度の名残、価値観の違い、衛生観念の違い……。
上のようなニュースを見かけると、国名を伏せても“だろうな”という予想をしてしまう。
私らからすれば「インド」で一括りになるが、インドの人からすれば「特定の地域のインド」あるいは「特定の人たち」という見方をしているのかもしれない。
日本人がイメージするインドのカレーと、例えばベンガル地方の魚が入ったカレーくらいに、同じニュースでも受け取り方が違うんじゃないかって……。
それはそれとして、増えすぎた人口をカバーできるだけの仕事が用意できない場合、国内には金がなくて暇な人が増えるだけだ。
暇な人が、どんな時間の使い方をするかで、街の治安は大きく変わる……。
モノがないから盗めば犯罪都市になるし、政治活動に繋がれば別の方向に進む。宗教に走れば特定の人物が権力を得、海外に活路を求めれば難民が増える。
なので、先進国の企業はインドに進出し、現地の雇用を創出した方が良いんじゃないか説。
* * *
一方で、世界の工場が移転することになった中国では、不動産、赤字の鉄道、給与の不払い等々から、人余りになる可能性が高まる。
不景気で人を雇わない、雇っても金を払わない、地方政府は市民からの罰金で金集め……。
需要があるうちは高く売れていた物でも、需要がなくなれば安くてもさばきたくなる。
足元を見た消費者が安さを追い求め始めると、値下げ競争が始まって「うちなら、もっと安くできますよ」が口癖になり、そのしわ寄せが労働者に向き、給与が下がっていく。
そのうち、儲からなくなって会社が消え、そこの労働者も消える。
労働者が消えれば、お金を使う人も消えるので、その人の購買を期待していた企業も消えていく。
ここにいたらダメだと思うと、他の国に活路を見出そうとする。
密入国ブローカーを利用してメキシコ国境からアメリカへ?
いや、むしろ世界の工場になっていくインドに逃げ、前と同じことをするという手もあるわけだ。
この人口流出は、どんな未来を見せてくれるだろうか。
* * *
中国の場合、農村戸籍と都市戸籍がある。
農業で稼げなくなり、都市へと出稼ぎに行っていた場合、海外に渡るだけの費用もなさそうなので、都市部で暇な人になるかしかない。
これは治安悪化要因になりえるね……。
でもって、人口流出で農村部が荒廃して作物が作れなくなったら、億単位の食糧輸入国になるわけだけど、今さら戻って畑をやれと言っても、一人っ子政策の跡取りがやれるのかって。
そういう視点で見ても、他国を潰すには安い食料をバラまき、その国の生産者を食えなくするのが手っ取り早いよね。
ほら、農業従事者が食えなくなったら、都市部に働きに出るしかない。
その都市部で仕事にありつけないと、暇な人が……。