メモ書き

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文句を言う人は、何をしても文句を言う

文句を言う人は、何をしても文句を言う。

ブラック企業なので早めに退職→「すぐ辞めるなんて信じられない!」
ブラック企業で体を壊す→「そんなところ、すぐに辞めろよ」

・未婚で子供なし→「早く子供を」
・結婚して子供あり→「子供がうるさい」

そんな人の希望を叶えると、次の要求をするだけ。
例えば、親のパターン。

・ご希望の会社に入った→「出世しろ」
・出世した→「もっと上がいるじゃないか」
・一番上になった→「天狗になるな! 地位や名誉より大事なものがあるだろ」
・社会に奉仕する→「偽善だ!」

文句って、いくらでも言える。
文句には際限が無い。それは、人の欲から来るものだから?

今まで不満に感じなかったのに、隣よりも何かが劣ると知ると、急に文句を言いたくなる。

その原因が自分にあるとき、もしくは都合が悪いとき、どうにもならないと思うときは、「よそはよそ、うちはうち」と言う。
他者に原因があると思うとき、対処すべきだと思う人がいるときは、「お隣は、こうなのよ」と言う。

比べなければ、幸せだったものを……。

これが幸福度が低い理由のひとつだとしたら、世界の超富裕層26人みたいな内容を拡散すれば、世界規模で幸福度が下がるのだろうか?

まぁ、それはそれとして、何をしても文句を言う人には、特徴がある。

想像力が足りないのだ。

先のブラック企業の例なら、一点しか見えていない。
辞めた場合は「どんな会社だったか」を気にしていないし、体を壊した場合は「働いていた人の事情」を知ろうとしてない。
相手の行動理由を考えないのだ。

自分がこの「何をしても文句を言う人」になることもあるだろう。

相手に対する想像力が足りなくなると、とにかく“自分の気持ちをぶつける”ことだけを考える。


「私を、わかって」「とにかく、わかって!」

結局のところ、言ってることって、それだけなのかも。

「あなたがわからない、私をわかって」

だから、逆に訊いてもらうと冷静になれる。

「で、何をしてほしいのさ?」

この際、そうすべき理由と根拠、メリットも訊き、その発言の責任をどう取るのかまで言及すると、きっと楽しいことになるだろう。
悪い意味で。

それはそれとして、100円もしないお菓子でハッピーになれた頃には、もう戻れないんだろうな。

地方創生を現実にするアフィリエイター移住計画

もう懐かしい響きかもしれない「地方創生」とう言葉。

使いやすかったのでタイトルに入れていますが、政策としてどうとかの話ではなく、地方移住に関する妄想を書いています。

* * * * *

【急募】田舎に住んでくれる人《特典あり》

・家が1円、ただし小さな子供がいる家族に限る。
・牛舎と牛つき。

* * * * *

ってな感じの条件で、呼ぶところも。

行ったこともないような過疎地に、誰かを呼び込むには、相応の魅力が無いとダメ。
それをクリアしたとしても、大きな懸念材料になるのが仕事のこと。

何処に行こうと、そこでの稼ぎがなければ、生活なんてままならない。
だから、まずは地方に産業を。大企業の工場の誘致をなんて、今でも言われている。
海外に工場を作った方が、コストが抑えられるケースでも。

そもそも、地方に工場を作るメリットは……なんてことを、過疎りまくりの場所に立つと思ってしまう。

ある都道府県では、1年間で人口の1%以上が減っている。
10年も経てば、今の人口の1割近くが減る計算だ。
地元民相手の客商売なら、顧客が10年で1割減の可能性を秘めていることになる。

減っていくうちに、「こうれはもう、やっていけない」という限界値を超える。
そこでA店がたたむ。
A店の顧客は、同業者のB店に流れる。
淘汰が始まり、体力があるのが残る。

ここで言う体力とは、資本のこと。
B店となるのは、大きな資本を持つ会社。

そのB店がショッピングモールなどの大型施設だとする。
そこを運営する大きな会社が、「この減少率だと、先行きが厳しい」と撤退を決めたら、そこにはもう何も残らない。

もしも、B店に大きな資本がなく、運用コスト的に残れただけなら、A店の顧客が流れ込んだ際に、処理限界を超えて別の問題を引き起こす可能性もある。

これが、生活基盤が崩れる臨界点。
減り続ける人口の中で、加速度的に過疎化が始まるライン。

そんな予想をすると、“地方での仕事”を見る目は厳しくなる。
都市部に住んでいると、「東京に憧れて出ていく」という理由が、定番に思えるかもしれない。
実際、そういう理由で出ていく人もいるだろう。
中には、地域住民との人間関係が嫌で出ていく人もいるだろう。

一方で、地元の企業に就職したところで、10年後には存在しないのではないか。
全国展開している企業でも、採算に合わないから撤退するのではないか。
経営手腕がどうの以前に、地域社会が成り立たないのではないか。
そういう不安から、出ていく人もいるだろう。

逆に、老人は動かない。
今さら、新しい土地で、新しい関係性を築くのは難しい。
というか、嫌だと思う。
そこから出たことがないから、今さら どうしていいのか わからないこともあるだろう。
同時に、長年 住んできたことで、この暮らしはずっと続くような“永遠”を感じているのかもしれない。

だが、潰れていく店を見て、知人の家が廃屋になっていくのを見て、かつて小学校だった建物が、何かの記念館になっている現状が間近にあれば、いずれ消え去りそうな街に住み続けることが、狂気にさえ思えてくるかもしれない。
「都会に憧れて出ていく」のではなく、ゆっくりと沈み始めた船から逃げ出すネズミなのだ。


あぁ、余計なことを長々と書いてしまった。
そんな状態の地方だから、新たな雇用を生み出すのは、「マジで大変だよ」と言いたかっただけなのに……。

で、本題。
仕事が無いと移住者も……と書いたが、地方での仕事を生み出すのが難しいなら、働く場所を選ばない人を呼ぶ方が、簡単じゃないだろうか?

ノマド
そう呼んでもいいのだが、タイトルをアフィリエイターにしたので、それで話を進める。

会社に行く必要がある仕事は、住む土地が限定されてしまう。
だけど、自分のサイトで稼いでいる人は、どこに住んでいるかは関係ない。
ネット上で仕事の受注、成果物の受け渡しをしている人もそうだ。

引っ越そうと思えば、どこへでも行ける。
おそらく、気軽に引っ越せる業種のひとつ。

とはいえ、イベントや仲間の関係上、都市部に集まる傾向が強い。
離島なんかに住んだら、通販の品が届かないか、送料がバカ高くなるので、「買ってみた」という体験談が制限される。

それは、それとして……。

場所を選ばない彼らなら、地方に呼び込みやすいのではないか。

問題は、来るだけのメリット。

ここで最大の武器にするのは、健康保険。

アフィリエイターは、国民健康保険に入るしかない。
一定以上稼ぐアフィリエイターにとって、その金額はバカ高い。

だから、その地域に住むアフィリエイターを対象にした組合を用意する。
関東ITソフトウェア健康保険組合」のように、あまり医療を必要としない年齢層で構成するなら、保険料は安く済む。
嫌な言い方をすれば、“これといって収入が無いのに医療費がかかる層”の負担を背負い、高い保険料を払うことがなくなる。

稼いでるアフィリエイターは、たぶん元気だろう。
おそらくは、そんなに医療費もかからない。故に、保険料も安くできる。

ついでに、確定申告のアドバイザーもつける。
もちろん。アフィリエイトに詳しい人材を。

住居は、タダで用意する。
西武ヴィラ苗場クリスタルみたいな価格で出すくらいなら、いっそ無料の方が呼び込みやすい。
売りたいときに売れず、あれこれ厄介な不動産を持ちたくない人には、長期間のフリーレントにする。

大きな物をネットで買いたい人や、あれこれ買って試している人には、物を置く場所が欲しいだろう。
その点、地方なら場所はある。倉庫付き物件も実現しやすい。

つーか、空き家ばかりだろ?
リフォーム費用を渡して好きに立て替えてもらい、「こんなリフォームしてみた」というネタにしてもらおう。
地元業者の宣伝付きで。いや、自治体のサイトへの誘導込みで。
何なら、その権利が「ふるさと納税」の返礼品でもいい。


そこまでして呼び込むメリットが、自治体にはある。

稼ぐ人は、地方の賃金では考えられない額になる。
そういう意味で、住民税というメリットがひとつ。

次に、アフィリエイターの特性がある。
どんなサイトで稼いでいるのかにもよるが、ネット上での物の売り方、集客の仕方に優れているから、彼らは稼げている。
それは、地方の商売人に足りない要素のひとつ。

何より、地元から離れたことがない人間は、その土地の特色を把握しづらい。
自分たちの何が他と大きく違っているのか、気付きにくいという意味で。

外から来た人は、その点に気づきやすく、地元民にとって想定外のウリを見つけることもあるだろう。

日本的な要素を求めてきた旅行者に、「向こうの人だから、食事も向こうの料理がいいよね」と、余計な気遣いをしてガッカリさせるようなことが、地方には まだある。

問題は、その“外から来た者の視点”の手に入れ方。
それに関しては、放っておいても手に入る可能性が高い。

頼まれずとも、「XXに移住したら驚いた意外な〇〇10選」みたいな記事を書き、集客するに違いないからだ。
それを読めば、“外から来た者の視点”が手に入る。

町おこしコンサルみたいなのを呼ばなくても、勝手にアドバイスをくれるのだ。
あとは、そこで推されてるものに乗っかるだけ。

「うちの地域は、枝豆の生産量が……」
「空気がきれいで、自然も豊かで……」

なんてアピール方法しかないと思っていたところに、

「ここで取れる珪藻土は、他所で取れるものより吸水性に優れていて……」

と言われて、「知らんかったわ」となるかもしれない。
マニアックなのを呼べば、「ここでしか使われていない異体字が……」と言い出すかもしれない。

まぁ、ASPが扱ってる商品にだけ詳しいタイプが多いかもしれないけど。


さらに夢を見るなら、新たな産業の創出という可能性もある。
大きなサイトであれば、そこに必要な労力も半端ない。

・口コミやレビュー要員(他所の引用で済ませないなら)
・記事作成要員

クラウドソーシングで受発注可能なものだが、直に会って話すことで「こういう記事が望ましい」みたいなのが、伝えやすくなるかもしれない。
その際に、「こんな感じで運営してて、収益化ポイントはここ」と説明されれば、ある種のコツも掴みやすいだろう。

あとは、運営者として成長していくだけ。
やがて、それは地方発信のメディアに繋がるかもしれない。
サイト運営を分業化し、組織的に行うようになり、会社となるかもしれない。

まぁ、手っ取り早く、サイトを買うという手もあるだろう。
運営マニュアル付きのヤツを。

そんなこんなで、地元民の数を気にしなくていい商売が地方に誕生する。
リアルで過疎化して、ネット上でも過疎化したら、その土地に希望は無いが、少なくともネットでの存在感が増せば、可能性みたいなものは広がるだろう。

可能性って言葉は、ゼロじゃない限り連発できるので、何の説得力も持たないけども。

* * * * *

そもそも、地方創生に意味はあるのかという疑問もある。
機能が集中した方が、効率がいい的な発想だ。
その返しで、わかりやすいのはリスク分散。
一ヵ所位集中し、そこで大きな地震があったら怖い。

「卵は一つのカゴに盛るな」である。

とはいえ、地方が残るにしても、バラけ過ぎてるよりは、少しは集まるべきである。
いわゆるコンパクトシティの形成だ。
雪国なんて、集まった方が除雪箇所が少なくて済む。

機能的な場所を用意し、そこに移り住もう。
その方が効率的だという取り組みもあっただろう。
確か、青森だったかな。

でも、人は動かなかった。
住み慣れた土地を離れようとはしなかったはず。

「どうして?」

というのは、それぞれに聞かないとわからない。
実際に聞いた様子も見ていない、というか注目していなかった。

まぁ、何というか、噴火があっても土地を離れない人がいるくらいだ。
そこに住むことが「すべて」になっている人もいるのだろう。

それは東京にも言えるのではないか。

老朽化したマンションに住み、そこが「すべて」になっている人がいて、ずっと居続けたいけど金銭的に余裕がない。
修繕は必要だけど、修繕積立金が足りないから工事はしない。
管理人もほしいけど、誰も来ないし、満足に賃金も払えない。

気付けば荒れ果て、やがて事故が起こる。
居住権は強い権利なので、強制的に対策を講じるのも大変だろう。

そして、何十年か後には、問題が山積みのマンションだらけの東京になる。
となると、そこを見捨てて他に行ける場所がほしいので、その候補地として地方を育てておくのだ。

遷都である。

それが地方を見捨てない意味。

地域の文化とか、風習なんてものでは動かない。
いつの日か、東京をXXX山にするために、地方に資金を回すのだ。

新しい時代にあった都市をデザインし、そこに住む利点と理由を作る。

テーマはシェア。

と書いたところで、なんか飽きてきたのでやめにする。


タイニーハウスって、見てる分にはワクワクするよね。

「オレの若い頃は」という話題しか、もうない説。

↓可能なら、ラップ調で読んでください。

同じことを繰り返す毎日。
新しいものは「けしからん」と規制。
その実、本当は何か、わかっていない。
誰かがそう言ってるから、それを繰り返しただけ。
考えるのは、面倒くさい。
だから、条件反射的に喋る。
反論されたらムカツク。相手が正しいのかは、二の次。
何より、オレの感情が優先。
そんな調子だから、周りも無難なことしか言わない。
故に、新しいものが入ってこない。
気付けば、オレの知識はメディアが垂れ流すものばかり。
自分の言葉は、どこにもない。何ひとつない意見。
それでも何かを言いたいから、口に出す。
「オレの若い頃は」と。イエーイ。

「DEVILMAN crybaby」の感想|ドラクエが、FFにされた感じ

Netflixに登録したので、ここでしか観れないものを。
そう思って、一時期 広告がアレだと言われていた「DEVILMAN crybaby」を視聴。

前にアニメ化されたものは見ていませんが、おおまかな内容は知っていました。
原作の漫画も読んだはずなんですが、あまり覚えていません……。

ヒロインの最後がトラウマという人が多い中、この忘れっぷりは酷いですね。

でも、忘れていたから、楽しめたところもある気がします。
あとで他の人の感想を見て、そう感じました。
「原作では云々」「デーモン族とは云々」みたいな視点を持ってると、「これは違う」と思えるようなので……。

彼らとしては、『ドラクエが、FFにでもされた感覚』なんでしょうかね。
よくわかりませんけど。


個人的には、彼らほどの思い入れもないので、ぼんやりとした視聴でした。
人物が溶けていく感じの動きに、気分的に酔っていた感じの“ぼんやり具合”です。

ストーリーを楽しむというより、「動き」と「音」の刺激を楽しむような……。
なんか、刺激と書くと、ドラッグみたいですね。
でも、サバトなんかは、まさにそれ。

なぜかはわかりませんが、「パーフェクトブルー」を初めて見たときのことを思い出しました。
監督は湯浅政明さんなので、「四畳半神話大系」や「ピンポン」を連想するのが自然なんでしょうけど。

その「動き」と「音」の刺激として、印象に残ってるのは、わが子を撃とうとする父親の葛藤。
色んな感情が入り混じった顔。撃とうとしてはやめるの繰り返し。
辛いシーンなんですが、刺激として優秀でした。私には。

例のトラウマシーンは、いつか来ると思っていたので、「あぁ、こんな感じにしたんだ」で終了。

時代の変化もあってか、彼女はSNSを使うキャラだったので、ネット上で配信される悲惨な最期という可能性も、終わった後に考えてみましたが、それだと絵的に弱いですね。
“切断されて串刺し”というショッキングさを生で見る。
その刺激には勝てないでしょう、主人公目線でのインパクトで言えば。
それに、でないと「人間ども!」と言って、スムーズな流れで怒りをぶつけられないし。


逆に、刺激として、物足りなかった箇所もあります。

人間の心を持った悪魔
悪魔のような人間

雑な言い方をすれば、上記のような相反する存在性と言いますか、テーマ性を感じるんですが、思っていたほど それは響きませんでした。それが物足りない箇所です。

二元論的に、悪が悪らしいとき、善は躊躇いもなく善を行える。
だとすれば、悪が悪らしくないとき、善は悪にどう対処するのか。そういうテーマも派生しますが、愛を知る悪魔が出てきても、その前のやり取りのインパクトから、ただのセックス依存症にしか見えない。
なもんで、そのテーマ性という刺激が感じにくい結果に。

ただ、それも今となっては、どうなのかなぁ~と。
あまりテーマ性を強められても、説教されている感じのクドさになったら厳しい。

ぼんやりと「動き」と「音」の刺激を楽しむレベルの人間にとっては、あれで ちょうどよかった気もしないではないです。
強いテーマ性の主張は、あの時代だから許容された感じもあるのかなぁ~と。
原作の不良が そのまま出てきたら、今じゃドン引くように……。

そういう意味では、ドラクエをFFにするくらいは、まだマシみたいな?
うまく言えないですけど、ラーメンをチョコレートにされるくらいの変化球じゃないなら、時代に合ったアレンジと言えるのかもしれません。

娯楽作品は、自分をハッピーにしてくれる存在で、そこからの学びとか、気づきは要らない。
そういう傾向が強まるなら、テーマ性の主張なんて、ウザがられそうなもの。難しいですね。

なんてことを書いていたら、「楽園追放」はバランスが良かったなと思いました。
こちらも、かなり内容を忘れてきていますが……

心を持った機械
心がない生物

みたいな要素が、ありましたよね?

個人的には、SF作品における“新たな技術による恩恵&それが原因で起こる問題”。
そして、そのことで気づかされる人間の本質みたいなのが好みなんですけど、それを直球でやられたら、私でも“古い”と思ってしまうし、それだけで構成されても退屈……。
そういう意味でのバランスの良さがあったかなと。

少しそれますが、そういった作品を楽しむうえで、心地よい刺激を阻害する思考があります。
なんて言えばいいんでしょう……
PSYCHO-PASS」の犯罪係数に対し、「そんな変わりやすい数値を指標にしていいのか?」みたいな突っ込み。
約束のネバーランド」を見る前に、「ワンオペ育児」の記事を見て、「ママ、大変ね」と視点を変えること。

「気づかなければ、楽しめたものを」と後で思っても遅い。

だから、楽しむために、私の思考停止フィルターが作動し、ぼんやりと見ることが増えました。

それでも、似たような展開に対する耐性は、どうにもならない。

デスマスク付きの悪魔との闘いで、攻撃しづらい相手に苦悶する主人公を見ても、次のようなパターンが脳内にセットされてしまう……。

1.別の人が解決する
2.葛藤の末に倒す

楽しみたいのに、予想されるパターンが勝手にセットされるので、「はいはい、どうせ倒すんでしょ。早くやりなよ」になってしまい、繰り返される母の言葉に飽きてしまう……。
困ったものです。

同じものを見せられている感覚が、そうさせるのでしょうか。
以下のようなケースになると、どこかで見た気になってしまい、視聴をやめようという動作に繋がることも。

友人関係を形成する際に出てくる「おいしいクレープ屋さんがあるの」というセリフ。前置きで「新しく駅前に」とか、都合よすぎる開店タイミングは何?
自分にとって不利な状況に置かれた後での「フッ、面白い」という敵のセリフ。「やられますフラグ」を立てるなよ。
おにぎりみたいな食品を一口 食って出る「あっ、おいしい」のセリフ。そこまで、違いがわかるか? おにぎりで。

こういうので阻害されないためにも、画面の隅にでも“新しい刺激”があってほしいと願うのです。
と、ここまで書いてきた後に言うのもなんですが、美味しいものを最初に食べたときの感動は、二回目や三回目では味わえないもの。
いつも変わらない味だと思えている店も、実は少しずつ改善しているから、飽きが来ないという話もあります。

何が言いたいのかと言いますと、「原作サイコー」の背景には、“美味しいものを最初に食べたときの感動”があり、映像化された それは二回目や三回目の味わいになってしまう。
それ故に、最初の味わいを求めていると、永遠に満足できる二回目や三回目は来ない。
「原作は超えられない」の理由は、ここにあるんじゃないか。みたいな話です。

人には慣れがある。楽しみには、変化が必要。

もしも、ドラクエがFFになったら、FFとして楽しむしかない。

「何々すべき」と「俺はやらんが、お前はやれ」

「すべき」という言葉は、あまり好きじゃない。

でも、「法人税の税率は、社員の給与と連動すべき」って題で、文章を書いたのは最近のこと。

内容的には、「すべき」という言葉ほどの強さというか、押し付け感や義務を思わせるそれは無い。ついでに、あまり内容もない。考えも深くない。
何というか、「するのは、どう?」とか「した方がいいかも」といった言葉でしめるより、語呂がいいから選んだだけのこと。

日が経って客観的に見ると、「すべき」の方が、重要なことが書かれている気配があり、読もうとする気持ちになりやすい気がしました。

たぶん、こんな風に強い言葉で煽られ、中身のない文章を読まされてきたんでしょう。私は。
その一方で、控えめな感じの題には興味を示さず、すぐれた内容に触れなかったケースもあるのかも。

「弱い犬ほどよく吠える」じゃないけど、薄っぺらな内容を書く人ほど、キャッチーな文句が得意なことも、あるんじゃないか。
だとしたら、キャッチーじゃないタイトルを付けた文章“だから見る”という発想を持っても、いいかもしれないと思ったという話。


ちなみに、「すべき」が嫌いな理由は、命令してる感じが嫌だというもの。
ついでに、「すべき」という言葉を多用する人が、その「すべき」ことの対象になることはなく、他者に対して「俺はやらんが、お前はやれ」と言っているに過ぎないように思えるからです。

収入が仮想通貨になったら、税金を払わずに済むのか

所得に応じて課せられる税金があります。

それは「円」を基準に計算するわけですが、現金収入じゃなくなったら、どうなるんでしょうね……。

Q.賃金の支払方法に関する法律上の定めについて教えて下さい。

A.賃金については、労働基準法第24条において、(1)通貨で、(2)直接労働者に、(3)全額を、(4)毎月1回以上、(5)一定の期日を定めて支払わなければならないと規定されています(賃金支払の五原則)。

引用元:

 

「賃金は、通貨で」

では、仮想通貨は「通貨」なんでしょうか。

 

原則、仮想通貨で給料を支払うことはできません。
引用元:仮想通貨で賃金支払いはできるか?|大垣労働基準監督署

 

法律的には、「通貨」ではないようです。

逆に、通貨ではないので、通貨の授受を対象にした法の適用外になる。
ということは、税金とは関係のないところで、やり取りが可能ではないかという話。

地域通貨を渡して「雪下ろし」をしてもらう。
「雪下ろし」で受け取った地域通貨と「野菜」を交換する。
それで暮らしていけるとしたら、別の経済圏が出来上がる……。

ポイント・サービスにも同じようなことが言えますが、こんなやり取りが普及したら、日本にいるのに「円」を使わずに生活できそうです。

高い税率を回避して、日本を楽しむ方法にならないか。
そんなことを思ったという話。

ACワークス株式会社が運営する無料素材系サイトには、素材提供者を「ビットコインで応援する」というボタンがあります。
こんな感じのが増えていくと、色々と変わっていくのかも。

それは別にしても、どうせネットで物を買うんだから、課税される現金でもらうよりも、楽天ポイントAmazonポイントで貰った方が……と思わなくもないですね。

支払う側は、費用として計上しづらいかもしれませんが。

占いに洗脳されていた話

占いに洗脳されていたと言っても、何から何まで占いで決める生活を送っていたとか、そういうことではないです。

「××占い、やってみた?」と言われれば、「どれどれ」と遊び半分でやってみるくらいで、「当たってる! これは真理だ」なんて思ったりはしません。

「占いって、どんなんだろう?」という好奇心で、占ってもらったこともあります。
岩盤浴って、どんなんだろう?」「キルリアン写真て、どんなんだろう?」と、同じ感覚でした。

学祭で“占いができる”という人に占ってもらって、その結果を会話のネタにしたこともあります。

あとはまぁ、雑誌の占い欄が目につけば、自分が該当する項目を読んでみるとかですね。

そこに、結構な確率で「飽きっぽい」とありまして、無意識レベルで「自分は、飽きっぽい」と刷り込まれていたような気がします。

知人に「自分は、飽きっぽいから」と何気なしに言った際、「えっ? そう?」と意外そうに返され、「あれ? 飽きっぽくないのかな」と思い直しました。

そういえば、占い以外では「飽きっぽい」という評価を下されてないし、聞いてもいない。

そりゃ、誰にでも「飽きっぽい」要素はあるでしょう。
言ってしまえば、バーナム効果です。

別の見方をすれば、同じ刺激に対して、耐性を持たずに「飽きない」のは変です。

占いには「自分を見つめ直すキッカケ」「注意を促すキッカケ」という側面もあるという主張を耳にします。
「目や肩に注意」と言われたから、「その辺に気をつけて元気」という人もいるかもしれません。

それはそれで意義があるのでしょうが、遺伝という観点で気をつけるべきポイントを見た方が、より確かでしょう……。

この手の話をすると、「本当に当たる占い師」なる存在を持ち出し、それは桁違いだという展開が待っていますが、それは脇に置いておくとします。

今回の件でメモしておきたかったのは、繰り返し同じ主張を聞くデメリットです。
少数派が一貫して強い主張を持ち続けることで、多数派に「自分たちの主張が間違っているのかも」と思わせる『モスコビッチの方略』にも似た危険性。

血液型の例でいうなら、A型はXX、B型はXXという枠組みに、無意識レベルで押し込められている可能性です。
そのデータに妥当性が無いとわかっていても、いつの間にか思考を侵食されている……。

「あの人はA型だから、XXだよね」

そういう思考に至ってしまう背景には、カチッサー効果があるのでしょう。

人は、考えるのが面倒なのです。
考えるのが面倒だから、「XXだから、XXだ」と思考をパターン化し、楽をしようとしている。

「価格が高いものは、いいものだ」と、商品ではなく価格で判断する。
「限定品だから、今しか買えない」と、必要じゃないものを買う。
「専門家がオススメしていたから、間違いない」

上記は、商品の品質ではなく、別の要素で商品を判断している例です。
それと「あの人はA型だから、XXだよね」は大差がない。


ということを「自分は、飽きっぽいから」「えっ? そう?」のやり取りから思ったってだけの話です。