誰かが自分の死を待っているとしても、それを知らないで いられるなら、気づいていない幸福があるよねってメモ。
まるで、見つかるまで存在しないような言い方だけど。
前にいた職場に「死ねばいいのに」が口癖の人がいました。
言うタイミングは、嫌いな人の電話応対をしたあとにボソッと。不満を口に出して言うことで、その人は精神を安定させていたんだと思います。
「これも給与分」みたいな割り切りの物騒なバージョン。
ただ、自分が誰かに対して思うのなら、その誰かも同じことを思っていても不思議はない。
そんな風に、今となっては考えてしまいます。
ブラックめな職場に居れば、愚痴も言いたくなるよね~くらいの雰囲気の中で、流されて終わりの言動でしたが……。
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そう、こういう恨まれ方を自分もしているかもしれない。
人を呪わば穴二つじゃないですが、同じ気持ちを誰かに向けられていて、たまたま相手の「呪いの言葉」を聞いていないだけ。
そんな可能性を考えたら、呪いに気づけていない、感知していない幸せのようなものって、あるのかもねと。
「私が死んだら、幸せになる存在」に対しては、「今も生きてるぜ、ざまぁ」なんだけどね。
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一方で、意味不明な嫌われ方をするケースもありますよね。
こっちの意図とは別の解釈をして、勝手に怒り狂った同僚も前に居ました。
まぁ、イライラしていたんでしょうね。急変したんですよね、ある時を境に。
強く出られそうな相手なら、誰にでも噛みつくように……というか、誰かの提案を鼻で笑って否定し、自分のやり方以外は認めないようなノリで数ヵ月を過ごした後に辞職。
転職先もすぐに辞めて派遣暮らしになった後、かつて鼻で笑っていた人を誘って定期的に飲みに行き、復帰話をしているとか何とか……。
話がズレた。
危害を加えられない程度に嫌われるくらいなら、別に死を望まれようがいいかなと。
みんなから好かれようとして、嫌いな人にまとわりつかれても意味ないし、誰かの評価を上げるために時間を浪費するのって、バカバカしいもの。
評価が利益に繋がるなら別だけど、「仕事ができる」という評価ですら、さらなる仕事を呼び込むだけってこともあるからね。定額(低額)使い放題の会社だと。
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最後に無関係なメモ。
何となく よく知らない他人のブログを読んで、「気持ち悪い」と思ってしまいました。
私の書いてるこれも、人によっては そうなるんでしょうね。
それはそれで、なんか面白い。
自分が「何、この内容」と思えるものに多くの人が「いいね」し、「何が受けているんだろう?」というわからなさ。
その意味不明さに、自分が気づけていない需要がありそうでワクワクする。