同じ場所で、同じ野菜を作ると、生育不良になる。
人はそれを連作障害と呼ぶ。
毎年同じ場所に同じ作物を栽培することを 連作といいます。そうすると、その野菜を侵す土の中の病菌や有害センチュウの密度が高くなったり、土の中の栄養分が不足したりして野菜の育ちが悪くなります。これを 連作障害といいます。
引用元:
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その野菜が育つには、同じ栄養素が要る。
ひとつの野菜が育ち、必要な栄養素が減った土壌で、同じ野菜を作るには栄養素が足りない……。
それを避けるため、前とは違う野菜を植えたり、土壌を改良したり……。
色々とするわけです。
で、ふと「天地返し」をしながら思いました。
「同じ場所じゃ満足に育てないクセに、よく自然界で繁殖してこれたな」と。
植物を育てていると、たまに思うんですよね。
その手間のかかりように、よくもまぁ世話を焼く人がいない自然の中で、生き残ってこれたなと。
勿論、育てているのは人間が品種改良したもの。
野生のそれとは違います。
野生のアーモンドに毒があるように、そもそもの時点で、人が育てているのは、似て非なるもの。
たまたま「人にとって都合の良い変化を遂げた品種」が誕生し、収穫しやすく、実りの大きなものが選ばれ続けた。
その結果の連作障害であれば、「生物としては欠陥じゃないか?」と思う筋合いもない。
ただ、元から“そう”なのであれば、生物としての生存戦略として、致命的な欠陥じゃないのかと思い、こんなものを書いているわけです。
だってほら、植物って動けないわけじゃないですか。
なのに、同じ場所だと栄養不足になって、生育もままならないとか、何とか工夫しろよって話。
年度ごとに土から吸い取る栄養素を変えるとか、土壌改良を促すミミズをおびき寄せる能力があるとか、そういう進化が見たかったよ的な?
まぁ、そういう進化よりも、種子を遠くに飛ばすほうが、自然だったのかもしれませんね。
綿毛をつけて風で飛ばすとか、鳥に食わせてフンとして落としてもらうとか……。
でも、それって繁栄は風任せって感じじゃないですか。
種子が落ちた先が、生育に適した環境なのか、わからないわけなので……。
そう考えるとですよ?
「人の食い物」としての価値を高め、進化の道筋を見出した植物たちは、生存戦略として正しかったのかもしれません。
人間という生育の世話を焼く奴隷を手に入れることで、子々孫々の繁栄が約束されたわけですから。
同じことは、家畜となった動物の品種にも言えるかもしれません。
絶滅危惧種に比べ、家畜の数の多いこと……。
人類に次ぐ生命体の数では、家畜が上位。数えようがない海の中や、虫を除けば。
人間:78億人
羊:10億以上
牛:10億頭以上引用元:
ペットも多いようですけどね。
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「生物としては欠陥じゃないか?」で思い出したのは、3倍体です。
日本国内に生育する本種は、染色体数がほぼ全て3倍体(2n=33)であるため、結実しないとされています(ごく稀に、突然変異で染色体数に変化が起これば、結実することもあるようです)
種子を残せないので、植物としては「欠陥じゃないか?」という話。
とはいえ、ヒガンバナは人が株分けして、他に持って行って植えるので、増えていったんですけどね。
結局、世話をする人の心を掴むか否かが、生存戦略の決め手。
手間がありながらも人が増やしたのは、毒性への期待でしょう。
球根の毒でモグラ避け。そんなところ。
一応、水溶性の毒らしいので、水に浸した後なら、毒が抜けて食えるようですけど……。
なんか、「レタス(キク科)」の根や地上部の生育を強く阻害するみたいですね。
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そのうち読む。