メモ書き

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鼻毛処理、頭痛、片側だけ涙、右目の違和感

体調が変だった。

最初に気づいた違和感は目。
目の前が白いというか、まぶしい感覚に苛まれた。それも右目だけ。
冬の日、雪の白さというか、光の反射に目がやられることはあるけど、片方だけというのも奇妙。

しばらくすると、今度は頭痛が始まった。
それも左側だけ。
耳の後ろから首筋にかけて、張っている気もする。

でもって、左の目から涙が出たり、左の鼻の奥がツーンとしたりすることも。


あまりにしんどいので、作業を中断して湿布を貼る。
それでも、痛いというか、不快感が続いて作業しづらくなり、結局は横になって様子見。

数時間が経ち、マシな状態になったので、このメモを書く。
なんか、具合が悪くなるようなことをしただろうかと、昨日の行いを振り返っても、特に変わったことはしていない。
強いてあげれば、鼻毛の処理をしたくらい。

切りすぎた?
それで、よくないものを吸いこんで?

その可能性より、寝違えの方がありそうだけど。

「いじめ」と、リボン系バッチ運動

「いじめ防止を目的としたリボン運動」というのがある。
検索してて来るのは、次のようなもの。

イエローリボン運動
いじめ防止啓発月間に合わせて、子どもたちがイエローリボンを名札に付ける取り組みです。イエローリボンを身につけることで、黄色にこめられる思いを感じ、行動に移せるようにすることを目的としています。

ブルーリボン運動
「いじめをしない、させない、許さない」というスローガンの下、みんなが過ごしやすい環境作りを意識して行う運動です。郁文館夢学園では、生徒・教職員全員がピンクのバッジを身につけて意識を高めています。
郁文館夢学園は、ワタミフードサービス社長の渡邉美樹が理事長

ハートリボン運動
いじめをなくし子どもたちの笑顔を守るための運動です。

* * *

極論を言えば、バッチをつければ「いじめは、なくなるのか?」である。
それに対する結論は、「なくならない」だ。

現に、いじめ防止バッチをつけたまま、いじめをしている生徒がいる。
被害者になっている生徒がいる。

バッチには何の効力もないのだから、当たり前。
バッチ一つで問題が解決するわけがない。
なのに、連帯を示すために、同じものを身に着けさせようとする。

それがダメだという話。

仲間外れを生むのは、仲間意識である。
「仲間だ」「仲間じゃない」という認識が、人を区分けする。

「正の方向性」で繋がるのであれば……という理屈はわかるが、異論を排除する方向性があることには変わらない。
それによって「異論の排除」だけを学習し、物事の善悪を無視した連帯に繋がる危険性を考えれば……という話は面倒なので省略し、一番気に食わない点に話題を変えよう。

この手の運動で嫌なのは、バッチの製造で儲ける人がいること。
自主規制もそうだが、検品済みシールを販売し、そこに利権が発生する流れが嫌だ。

難癖をつけて規制を叫び、その業界に寄生して食っていこうとする非生産者が増え、ダメになっていく展開は想像に難くない。

* * *

どんな美辞麗句を謡ったところで、やってることはバッジの購入強制じゃないのか?

問題は何も解決していないのに、活動をしている気分になって満足なのか?
いや、問題があるほうが金になるとか、そう思ってるんじゃないのか?

問題が飯のタネになっているのは、事件が起こらないとニュースがなくなるマスコミと、揉め事がないと出番がない弁護士……。
彼らのすべてを否定するわけじゃないが、ビジネスの性質上のベクトルがかかってる分、そういう見方が先にくる。だから、あまり好きじゃないし、変なのばかり見てきたのも大きい。

でもって、実際にロクでもない話が、ネットの普及で目につきやすくなった。
報道しない自由で封じてきたことが、誰もが発信者になれることで不可能に……。

こうしてみると、情報は自由であるべきだ。
もちろん、そこには誤情報の拡散というリスクはつきものだが、それは情報の精査と向き合ってこなかった側のつけでもある。
まぁ、オールドメディアによる誤情報の拡散ほどの被害を知らないが。

年金の世代間格差の表には、当時の貨幣価値という概念が無い

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/l/lacucaracha/20150707/20150707000513.jpg

www.yutorism.jp

よく見る上の画像。
払い得世代、払い損世代という括りで対立を促し、その制度批判からの政府批判というコンボは、よくある取り上げ方かもしれない。
で、それに関してインフレ時期の支払いとデフレ時期の支払いについて言及している人を見て、「そういや、貨幣価値の要素が語られないよな」と思ったというメモ。

言うまでもなく、今日の一万円と、十年後の一万円は、同じ価値とは限らない。
その一万円で何が買えるのか。これに尽きる。

モノの値段が上がると「値上げだ」と口走るものの、見方を代えれば貨幣の価値が下がっているとも言える。

総務省統計局の小売物価統計調査によれば、1袋5kg入りのうるち米の価格は1950年で99円、1980年で4,142円、2010年で1,739円となっている。これが買えるモノの違い。

主要品目の東京都区部小売価格:昭和25年(1950年)~平成22年(2010年)より

www.stat.go.jp

同じモノを買うにしても、これだけの差があるから、それを踏まえた表に……いや、やめておこう。見づらい表になって、政府批判ができないとマスコミが使えない判定するからだ。

あと、「物価変動率等で計算された実際の保険料額」になっているはずだし。

そもそも、払い得も何も、払っていないけど受け取っている人も……。

寡婦年金は、死亡日の前日において国民年金の第1号被保険者として保険料を納めた期間および国民年金の保険料免除期間(※1)が10年以上(※2)ある夫が亡くなったときに、その夫と10年以上継続して婚姻関係(事実上の婚姻関係を含む)にあり、死亡当時にその夫に生計を維持されていた妻に対して、その妻が60歳から65歳になるまでの間支給されます。

https://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/sonota-kyufu/1go-dokuji/20140422-02.html


配偶者の未納は、揉めそうな要素だよね。

「逮捕しちゃうぞ」の実写ドラマを思い出す

まぁ、その、世間を賑わせている問題に絡み、実写化作品を見なくなったキッカケを思い出した次第。

メカやハイテクに精通し、抜群の運転技術を持つ小早川美幸(原沙知絵)と、人並み外れた運動神経と格闘センスを持つ辻本夏実(伊東美咲)。

www.fami-geki.com

漫画を読んだことがあったので、何となくドラマを見たら設定が破綻していました。

夏実は怪力キャラで、ドラマでもそういう紹介があったはずなんだけど、高いところから落ちそうになる人を手で捕まえ、それを引き上げられないでいるシーンがあったはず。
で、一緒に見ていた家族が「怪力じゃなかったのかよ」と。

基本的なキャラ設定すら、物語の展開次第では忘れ去られるという……。

俳優の出演時間がどうとか、事務所のアレがどうとか、撮影がどうとかいう以前に、シンプルにレベルが低いじゃないの?
時間経過で描写する映像作品と、コマ割りの漫画、文章の小説といった違いをもってして、差異を語る以前の話。
クリエイティブな能力の欠如。それに尽きる。

以前、とあるベテラン脚本家の講義の類があった際、脚本家の若手に「この登場人物を老人に代えよ」と指示したら、語尾を「~じゃ」にしただけで提出したというエピソードを聞いたのを覚えている。
話し言葉を変えるだけ……。そこには、生きた年数による言葉の重みとか、考え方の違いとか、そういうものはなかったと。そういう話。

この若手の延長線上に、クリエイターのなり損ないがいるのかもねと。
似たような類として、批評家なる存在もいる。
物書き崩れとして、何かを語っているようだけど、その辺の素人レビューと大差ないし、批評の定義を掲げたところで、なんの役にも立たない文章なのは変わらない。

何も生み出せないから、他者の作品をネタに食っているだけの人たち……。才能がないのに、クリエイターになりたくて、真似事をしているようにすら見えてしまう。

最近だと、海外の吹き替え担当にも同じことを思った。
原文にはない政治的要素を勝手に入れて、作品の内容を変えてまで自己表現を優先するそれ。
「日本のアニメを日本語で見たら、まったく違う内容だった」って言われるレベルの……。


あの業界時代が、政治的には“そっちより”なのは重々承知しているけど、思想さえ同じなら仲間内のパーティーで構わない感じなんだろうか。

eiga.com


* * *

と書いてきたところで、そろそろ普通の映像プロダクションでも、新たに立ち上げる人が出てもと思わないでもない。
原作リスペクトを掲げ、低予算でも、ほぼ無名な役者でも、普通に作りますよって感じに。

スマホで映画を撮る監督もいるくらいだし、昔ほど機材に金を使わんでもと思う。何より、無駄に高いだけでスキャンダル・リスクが高い大根アイドルを使うより、よっぽどと思うだけどね。
集客? コスパ悪いでしょ、そういうアイドル。

そこでも「つまらない原作を云々」とか言う人が来たら、プロ意識に欠けるから帰した方がいい。
まったく需要がないものは売れないし、映像化の話も来ない。であるなら、何度でも見返して、面白さを発見しないと、スタートにも立てない。

これは、仕事上の都合で「興味のないものを作れ」と言われた私の過去に関係する思い出でもある。

それはそれとして、脚本の話。

200字詰め原稿用紙1枚で、映像30秒相当になる。
男性のセリフは苗字、女性は名前だと性別がわかりやすい。
柱は〇や□ではじめ、場所を指定する。時間帯は未記入なら昼。

書き方とかは、こんな感じ。
アイツらでもできるなら、俺もやってやるぜという人は、どうぞチャレンジを。

 

youtu.be

「家のマニュアル」という発想

家庭マニュアルだと、家事のチェック表みたいなのが出てくる。
そうじゃなくて、ドコソコの設備が壊れたら連絡するのは何々で、灯油を買うときはこうで、浄化槽の点検はああで、屋根のペンキは数年に一度あそこに頼むとか、そういう作業の継承を円滑にするマニュアルの話。

今までやってた人が亡くなった後、「どうしたらいい?」を避けるため、必要な作業をリスト化し、その手順をメモした何かがあればと。

思えば、会社勤めしていた時も属人化云々は議題に上がっていたなぁ。

で、家庭も似ていると。
作るにしても、テンプレートみたいなのがあれば楽だから、どこかにないものか……。

貧民街を救ったら、問題が増える説|性格の悪い貧乏人が出てこないファンタジー

転生ファンタジーのネタとして、奴隷身分の美少女を養うのと同じくらい見かけるのが、貧民街ネタ。

主人公を虐げる側にはできないから、何らかの手段で救って「主人公、スゲー」にするしかないわけだけど、現実的には思ったようにいかないだろうなと。

まず、素直に感謝されるとは思えない。
人間は他人の人生をトレースできるほど想像力が豊かじゃないから、ついつい自分目線で考えがち。助けてもらったら「ありがとう」と言えるのは、そういう教育を受けたからであり、そう言える環境だったからだ。
生まれてからずっと、食うために奪ってきたのなら、感謝の言葉すら知らないかもしれない。

金銭的な余裕がなくなっても、生活レベルを落とせないように、人間の変わらない部分はしつこい。
そういう意味では、火垂るの墓みたいな感情のリアルさは……。
いや、ああいう戦時下でアレな状況でも、受け入れてくれた家で何もせず、食つなぐことが大事なのにスイカを買ってしまうあたりに……という指摘なんだけど。

まぁ、ああいうのを見ても楽しい気分にはならない。
なもんで、転生ファンタジーの貧民街は行儀がいい。
性格の悪い貧乏人が出てこない。

与えれば、必ず感謝してくれる。
まるで、恋愛シミュレーションの好感度アップ・アイテムを渡した後のような反応だ。
これなら、弱者救済で「優しい自分、えらい感」を味わえる。

間違っても「助けるなら、もっと早く助けてくれよ」とか「もっと、くれ」とか言わない。
救済に慣れ、働かずにクレクレする輩が出てこない。この行儀良さが、エンタメでは大事。
子供らしい意味不明さがフィクションだと出てこないように、舞台装置としての貧民街は評判アップのイベントでしかない。

食糧難で消えるはずだった命を救ったら、それが反政府的な繋がりと……とか。
識字率が低くて、最低限の知識や教養もないので、働き口を見つけるのが一苦労で、結局は色んな物資を浪費するだけの存在になり、救ったら問題が増えたね的な可能性もある。
可能性はあるんだけど、そういうのを描いて面白くさせるには、「主人公、スゲー」という路線では難しい。
理想を掲げるも挫折し、時には手を汚しながらも成長していく系の主人公じゃないとダメだろう……。


ということを思ったというメモ。

* * *

話変わるけど、各国のスラムを比較すると、国民性を感じるよね。

成功体験がモテたとか、スポーツで勝ったしかない人の見方

いわゆる陰キャが自虐で「俺、モテねぇ~し」とか言ってるのに対し、マジレスした感じの動画が流行ったらしく、それに関する感想みたいなものも目にしたので、思ったことのメモ。

何というか、人は成功体験で語るんだなと。

モテない=ダメだ
ダメな理由は、スポーツをやらないからだ
スポーツで勝負を経験し、競い合うことの云々……

という主張に対し、その歳で人生の価値を“モテる”に置くってどうなのと。
そういう突っ込みがあったので、タイトルのことを思ったわけです。

価値を図る基準が“モテる”にあるのがどうと言うのではなく、成功体験がそれしかないのではないか。
社会的成功と呼べる何かが、“モテる”しかない。でもって、その結果に至る過程も“スポーツの勝敗”しかない……。

ビジネス上の成功からは遠く、経済面での成功も遠く、知識面での成功もなく、文化的な成功もない。
だから、唯一の成功体験である“モテる”と“スポーツ”で語る。


ハッキリ言って、“モテる”と“スポーツ”よりも、“モテる”と“お金”の方が、大人になると繋がりやすい。
こう書けば、“モテる”を“スポーツ”で語る特殊性みたいなものが伝わるでしょうか。

私が思ったのは、そこなんですよね。
彼なりに陰キャの自虐に向き合い、自分なりの答えを出したのかもしれないけど、彼が思う以上に“モテる”の答えは多いし、彼が思うほど“モテる”ことに価値を見出す人は多くはない。

って書くと、陰キャ擁護の僻みに捉える人もいるんでしょうね。
自分が理解できない意見は、見下すべき人間の言説として排除する感じで。

* * *

彼に倣って、私個人の経験から“モテる”を語るとするなら、それは“作業”でしかないんですよね。
学生時代に告白された経験は一度ではないですが、嬉しいという感情は皆無でした。
まぁ、その……嫌いなタイプに好かれるのって、なかなかに辛いもんですよ?

ただでさえ関わりたくないのに、告白の返事という作業を強いられる強制イベント。嫌でしょ?
中には、割と露骨に突き放したつもりの人もいたんだけど、向けられた好意に照れているだけと解釈したっぽい……。
なかなかのストロングハートぶりですよね。
キャラとしてみれば、漫画にできそうだけど。

成人してからも、それなりの付き合いはあったけど、今となっては どうでもいい感じ。
なもんで、大人になっても“モテる”ことに意義を見出す人に、若さを感じる次第。

スポーツに関しては、このブログで批判めいたことを書いているけど、それは実際にスポーツをしていた経験を踏まえてのもの。
めちゃくちゃ得意というわけじゃないけど、足の速さなどで言ったらクラスのTop5くらいには入るレベルでした。
タイムという指標が手っ取り早いので、足の速さを基準にしたけど、種目によってはダメなのもあったかな。

異性との交際やスポーツに共通して言えるのは、それをこなしていないと見下される風潮に対し、自分はクリアしましたよと言うために、仕方なく行った側面は否定できません。
根本的なところで、他者に興味がなく、人間が嫌いなので……。そう、だから他者の評価も、どうでもいい。

* * *

と、要らない語りが増えたので、冒頭の続きに戻ります。

その人が何を語るのかで、成功体験がわかる。
そういう話を突き詰めていくと、話すべき成功体験がない人が、何を話すのかが気になってくるわけです。

自分は誇れないので、「こんな凄い知り合いがいるんだ」という人脈自慢。言うなれば、スネ夫スタイル。
相手は自分を知らないと仮定し、ほらを吹くタイプ。
異性から貢がれた額を自慢するタイプ。いや、これは収入面での社会的成功か。贈与税を払ってなさそうだけど。
あとは、SNSでバズったという……成功なのか よくわからないけど、知名度的な指標でマウントを取るタイプ。

成功体験が何もなく、それを欲する無能力者が手を出しやすい場所。
そう捉えると、ネットの空間に存在する変な人の正体が、少しはわかった気になってくる。

彼らは、巨大ロボットに憧れる少年や、変身ヒロインを真似する少女、スピリチュアルに走る人々と大きな差はないのかも。
今のままでは小さな存在でしかないけど、ロボットや変身グッズ、素晴らしい前世やお告げ的なサムシング。そういったオプション装備で一発逆転できるんだ、自分は! ってな感じに、夢を見ながらSNSで寝言をほざくと……。

そういや、寝言は寝て言えって、あまり見なくなったね。言葉として。