メモ書き

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誰も、明日を知らない

『何でもないようなことが幸せだったと思う』

……じゃないですけど、当たり前として受け止めていたものが、当たり前じゃなくなったとき、何でもないことの有難みに気づいたりします。

当たり前が消え去った後、当たり前を前提とした頃の未来予想を見ると、「あぁ……」と妙な気分になります。
今で言うなら、「一年分の占い」に書かれた「ラッキースポット」を見て、どこも閉まってると突っ込むような感じ。

あれやこれや、わかったようなつもりで書いてる人も、明日のことさえ わからないんですよね。自分も、適当なこと書いてますけど……。

どこかの誰かがした思わぬ行動が連鎖反応を呼び、予想だにしなかった展開になることもあるでしょう。

そう考えると、アテの無い希望を前提に生きているようなもの。

 

創作物では、天才的な策士が登場し、相手の行動を完全に予測する展開を割と目にします。
でも、実際には思考能力値が0~100まであるとして、100クラスの人間がわかるのは、70~100くらいの相手でしょう。
0~10の相手の発想は異次元。意味不明に感じられる気がします。逆も然り。

天才には経験しえない世界が、そこにある。
暗愚な人にしか、わからない世界が、そこにある。
予想しようにも、思考のベクトルが違い過ぎて、辿り着かないでしょう。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず……。
とはいえ、相手を知るのは相当に難しいもの。特に、かけ離れた存在だと。

つまり、その、あれです。
みんな、明日のことを知らずに何かを主張しているんだと思えば、仲間だって気もしてくるかなって話。
全然、まとまってないけど。

* * *

何が功を奏すかは、わからないこともありますよね。
科学的には愚策でも、大衆心理的には意味がある措置とか。

別の視点で言えば、腸チフスのメアリーに対し、どうするのがベターだったのか……。
説明したところでダメな場合、何が有効なのかという話ですよ。
それはきっと、例えば思考能力値100の人の話を聞いた80の人が、解釈を付け加えて60の人へ、さらには40の人へと伝えていき、0の人まで至るような長い道のりかも。
あるいは、強制排除かもしれません。

「物事の解決」を任されると、考えてしまいがちなのは「対処方法」です。
でも、本質的な解決は、二度と対処せずに済む状況の構築。

あぁ、また文章の迷子になりそうなので、この辺で終了。