メモ書き

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知識を誰かに頼る時代

かつて、人の仕事は狩猟と採集だった。
農耕を覚えたことで、食糧を貯蔵できるようになり、農耕に従事しない職業を可能にした。

《略》

そんな分業の流れの先に、専門知識の提供者がいる。

一人の人間が多くの知識を網羅するのは、限られた時間では厳しい。
なので、詳しくない分野は、誰かの知識と見解を信用する。

「あの人が、ああ言っていた」

そう聞くと、「あの人」の言うことは何でも信じているかのようで、気味が悪いかもしれない。
だが、それが権威性というもの。

一方で、「あの人」ではなく、特定の集団に対し、信頼を寄せるケースもある。

「ゴシップ雑誌じゃなく、公的機関の情報だから信頼できる」

こんな感じだろうか。

どちらの場合も、自分で情報を精査したりはしない。
いや、精査しようがないのかも。

何らかの結論がそこにあったとして、その検証方法や根拠を示していないのなら、それは噂話と大差ない。誤用してるなら、それ以前の問題。
自分の主張を裏付けるために、都合よく引用しているのなら、詐欺でしかない。

どちらも、耳に入れるべき情報ではない。

しかし、耳に入ってしまう。
一度でも それが入ってしまい、その情報が思考の根拠となると、修正するのが容易ではない。

「AはBだ」と信じた後に、「実はC」と言われても、素直に考え直せない。
「いやいや、Bの可能性も微レ存」と、「AはB」とする根拠を得るための情報収集を始める。
すべては、自分の判断が間違っていなかったことの証明のために。

そして、自分が気持ちよくなれる情報を漁り、それに金と時間を費やすようになる。

膨大な金と時間をかけた後に待っているのは、別の考えを主張する人との泥仕合

自分が正しいと思っているので、「相手は無知だ」と罵倒するのが定番。
相手の無知を叫ぶのは、説得するだけの根拠も能力もないから。
説得するだけの根拠と能力、そして冷静さがあれば、相手の無知を叫ぶ必要はない。淡々と説明すればいい。誰もが、最初は何も知らないのだから。

相手が聞く耳を持たない、話している途中で自分の言葉をかぶせて来るなら、何を言っても仕方がない。
たぶん、そういうケースが多いので、泥仕合は尽きないのだろう。
泥仕合カフェ」を運営したら、客単価の低い店が……以下略。

まぁ、ここまでくると相手を説得とか、正しい知識を広めるとかよりも、何かを利用して相手を罵ることが目的となっているだろう。

最初に信じたものを人は否定しづらい。
そう考えると、知識を誰かに頼る時代の勝利条件は、「ウソでも先に言う」になる。
引っ込みがつかないところまで信じ込ませれば、「ウソでした」と言っても勢力は残っているだろう。
その勢力に対し、「ウソ」が「ウソじゃない」ような燃料を投下し続ければ、それに食いついて金を払って情報を手に入れてくれる。
または、無料で情報を提供して人を呼び、何かを宣伝することもできるだろう。

オオカミ少年が儲かる時代。

しかし、その先にあるのは「情報」を得る意義の低下。
知らない方が健全に生きられるとなれば、そこに価値などない。

ゴミみたいなサイトしか引っかからない検索エンジンのようなもの。

att3200.hatenablog.com

まぁ、検索したところで、確かな情報が出なそうなキーワードを入れる人は、どうかと思うけど。
何でも答えてくれる魔法の箱じゃないんだから。