メモ書き

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「可能性至上主義」の成れの果て

「無限の可能性がある」と言われて、嬉しい人は いるのだろうか?

選択肢が多ければ多いほど、人は不幸を感じやすくなってしまう「選択のパラドックス」というのがある。

『してしまったことを悔やむより、したかったのにしなかったことのほうが、悔やみが大きい』という言葉もある。

実際、終末医療に携わる人がとったアンケートで、後悔していることを訊いたら、大半が「しなかったこと」についてだった。

選択肢が多い、可能性が多い、それは後悔する“可能性も無限大”かもしれない。

1.世界で一番可愛くなれる可能性は、誰にもある
2.世界で一番可愛いのは、一人しかいない
3.世界で一番は、有限である

それでも、可能性だけでもあれば、慰めになるのか?

可能性だけ広げ、実際には選びようがない選択肢を増やすのは、選択しなかった後悔を増やすだけではないのか。

「それでも……」と、人は言うのかもしれない。

可能性って言葉は、ゼロじゃない限り連発できるので、何の説得力も持たないけども。

att3200.hatenablog.com

 

 

ふと、前に自分が書いた言葉を思い出す。

そして、別のことを書きたくなる。

「可能性至上主義」の成れの果て、それは限りなくゼロに近い確率でも、ガチャを回し続ける人に見ることができる、と。