「無限の可能性がある」と言われて、嬉しい人は いるのだろうか?
選択肢が多ければ多いほど、人は不幸を感じやすくなってしまう「選択のパラドックス」というのがある。
『してしまったことを悔やむより、したかったのにしなかったことのほうが、悔やみが大きい』という言葉もある。
実際、終末医療に携わる人がとったアンケートで、後悔していることを訊いたら、大半が「しなかったこと」についてだった。
選択肢が多い、可能性が多い、それは後悔する“可能性も無限大”かもしれない。
1.世界で一番可愛くなれる可能性は、誰にもある
2.世界で一番可愛いのは、一人しかいない
3.世界で一番は、有限である
それでも、可能性だけでもあれば、慰めになるのか?
可能性だけ広げ、実際には選びようがない選択肢を増やすのは、選択しなかった後悔を増やすだけではないのか。
「それでも……」と、人は言うのかもしれない。
可能性って言葉は、ゼロじゃない限り連発できるので、何の説得力も持たないけども。
ふと、前に自分が書いた言葉を思い出す。
そして、別のことを書きたくなる。
「可能性至上主義」の成れの果て、それは限りなくゼロに近い確率でも、ガチャを回し続ける人に見ることができる、と。