メモ書き

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犯罪でもプロにならない若者たち

お金がもらえる仕事をしている人をプロと呼ぶなら、プロ意識無しで金を貰う人を何と呼ぶべきか?

いや、そもそもプロ意識とは何か?
仕事に対する責任感? 対価に見合った質の保証?

そんなことを思ったついでに、パパ活と闇バイトという言葉について考えてみる。

自分の意志で相手を選べる売春をパパ活と呼ぶなら、客を選ばないソープランドはプロの売春と言えなくもない。
この際、偶然に浴室付き個室で会って、一時的に恋愛関係になったという建前は置いておく。

同じ作業がそこにあっても、プロの売春を選ばない理由は、店の取り分にあるのか、それとも客を選べないにあるのかで、話は大きく変わってくる。
仮に、自分の裁量で“無理せず、できる範囲”で稼ぐのが優先されるのなら、プロになりきらない自分を相手に強要している。
プロとしての責任や質の放棄がそこにあり、金は貰うけど気楽な立場は堅持するニュアンスがないだろうか。


似たような事例として、闇バイトがある。
「犯罪」と書かずに「闇バイト」と書くことで、心理的なハードルを下げているのか、バカを釣るエサになるのかは不明だが、これも犯罪行為という“悪い仕事”に対するアマチュア感覚がある気がする。

この手の“悪い仕事”にも、プロはいる。
プロの空き巣とか、そういうのだ。
彼らの仕事に対する責任感、対価に見合った質の保証なんてものは、一般人からしたら「おかしなもの」だが、「誰にも気づかれずに奪う」とか「暴行はしない」みたいな彼らなりの美学があったりする。
だが、闇バイトの盗人には、そんなものはない。
彼らの目的は金であり、他には何もない。何なら、法的な知識もないし、もちろん倫理観もない。ないないづくしである。

それでも、自分がやることは“大事にはならない”と思っているあたりに、気楽な立場に浸かり慣れている気がしないでもない。

端的に言えば、甘ったれているのだ。
「何とかなるでしょ」とか「自分は大丈夫」だとか、「自分は許されるべき」みたいなノリで、今まで生きてきたから、これからも変わらない見込みの甘さ。
それがプロにならない若者たち?

「半グレ」なんていうのも、やっていることの割に、名称は“どっちつかず”な気楽さがある。

何の責任も負いたくない、気楽に適当に……。
というか、何の覚悟のないまま成長した結果が、それなのだとしたら、彼らは永遠にアマチュアなのかもしれない。
良い方向に行こうと、悪い方向に行こうと。