メモ書き

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エンタメ作品の代わりに、宗教の物語があるとしたら

エンタメ作品で「勇気の大切さを学んだ」とか、「誰かに親切にする意義を知った」とか……。
いや、そこまで大袈裟じゃなくても、多くの物語に触れることで、感じの良い人&悪い人を認識でき、その後の言動に影響が出てくることは少なくない。

それがエンタメ作品が溢れ、様々なフィクションが身近になった国の人間形成だとしたら、そうじゃない国は何が人間形成のキーとなるのか。

……という視点で考えたとき、宗教絡みの物語が、その役割を果たしているんじゃないか。
だとすれば、前時代的で変わらない価値観の再生産は……とか、少し思ったというメモ。

それの善し悪しを語りたいわけじゃなく、新たなフィクションの浸透が既存の宗教を駆逐していくとしたら、あっち側が規制に走る最たる理由は保身なんだなと。
まぁ、そんな風に感じたってだけのこと。

逆に、新しい価値観を生み出し、その価値観絡みの利権にありつく場合も、フィクションの持つ意識レベルでの浸透力は脅威、あるいは武器になるでしょう。

う~ん、自分が思っていたより、創作能力ってやつは危険で、ある意味において偉大なのかもしれない。