メモ書き

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敵の敵は、味方じゃない

AとBは敵対している。
CとBも敵対している。
AとCにとって、Bは敵。共通の敵。
共通の敵であるなら、一緒に戦った方が効率的。
なので、AとCは味方になる……。

それが、敵の敵は味方
「Bを倒す」という目的が同じという点では、味方に思えなくもないけど、実際のところは違ってくるでしょうってメモ。

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目的が同じでも、選べる手段に差異があるなら、味方とは言えない。

Aは、XXによる攻撃を許可していない。
Cは、XXによる攻撃を許可している。

この場合、AにとってCは許されざる存在になる。
Bを倒せるなら、許可しない攻撃を認めるのかと、仲間内でも議論になるでしょう。
仮に許可してしまったら、それを許さない層が離れていき、AがAである意義を一つ失うかもしれない。

それに、もしも共闘してBを倒したとしても、その後に待つのが「Bの隙間」の奪い合いなら、AにとってCは未来の敵である。
「将来的な敵」という懸念が拭えないなら、共闘している最中から「なるべく相手の戦力を削いで勝つ」ことを考えるでしょう。相手をより危険な方に導き、自分は安全な道を行く。
その方が、将来的に被害を増やさずに済むもの……。

ということを考えていくと、「敵の敵は、味方じゃない」って思うよね。

所詮、「敵の敵は、まだ敵じゃない」くらいの感覚。

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個人レベルでも言えることだから、共通の敵と言わないまでも、同じ目標だからって仲間意識を持っちゃダメだって話。

「〇〇の実現」や「打倒、XX」みたいな共通の目的があっても、その背景が違うなら行動を共にするのはリスキー。

「今世紀最高の映画だ」と誰かが言ったとして、その人が今世紀に見た映画が5作品の場合と、500作品の場合では、言葉の重みが違う。
その人が特定の映画を宣伝する立場にある場合も同じ。

そういう情報の背景を抜きに、「犬好きに、悪い人はいない」的な発想で、根拠もなく主語をデカくするのは賢くない。

また、同じことを言っている同士だから、仲良くしようと無理やりくっつけるのもそう。

無能で、やる気のある仲間ほど、強い敵は いないかもしれないのだから。

dic.nicovideo.jp

ということで、ぼっち最強。

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