刺身の値段を見ると、「この金額を払うなら、もっと美味しいものが食えそう」と思ってしまう。
そんな話。
味覚なんて、人の好みの問題。
言ってしまえば、それまでだけど……。
日本人が「香り松茸味しめじ」と評価したところで、海外の松茸評価は「靴下の臭い」だったりするのと同じ。
まぁ、海外じゃ同じ食材を扱っても、管理が違うからね。
鮮度の維持とか、そういうので差は出てるかも。
「毒を抜いてまでフグを安全に食べようとする国民性」を無視して考えちゃダメだよね。美味しく食べることへの執念と言うかなんと言うか。
* * *
それを踏まえての個人的な味覚の話。
身内に、刺身にこだわる高齢者がいる。
高い金を出しても、良い刺身を毎日のように食いたい。そういう人。
それが、わからない。
ぶっちゃけ、私は「美味しいものを食べる必要性は無い」という考えだから、理解できなくて当たり前かも。
同じ一食なのに、高い料理に金を使ってバカだなとか、飲み屋に金を落としてバカらしいとか、そういうことを考えてしまう……。
一方で、年末に書いているチョコレート・レビューのように、費用対効果に見合わない食費もある。
これは、何か新しいことをしないと、何の発見もない毎日が続きそうで怖いから……かもしれない。
そういう意味で、日々の刺身にこだわる身内とは違う気がする。
なんで、刺身にこだわるのかと言えば、それがメインディッシュだからだ。
刺身は、必ず飲む晩酌のお友。酒の肴であり、ご馳走。
それだけ?
違うでしょう。
執念には、譲れない体験がつきもの。
それは何か。
たぶんね、冷蔵庫の登場だと思う。
昭和30年代、「白黒テレビ」・「電気洗濯機」「・ 電気冷蔵庫」という3種類の家庭電化製品を、歴代天皇に伝えられた宝物になぞらえて「三種の神器」とよびました。
https://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/10_kanndayori/documents/suihannki.pdf
毎日の刺身を楽しみにする高齢者が、若いころから刺身を食っていたのかと言えば、それは違うでしょう。
鮮度が大事な刺身が、一般家庭の食卓に上がるには、冷蔵庫が必須。
山奥に住む民にとってはね。
昔は「塩漬け」だの「なます」だのでしか見なかった魚が、生で食えるようになったことは、人生における一大イベントだったのかもしれない。
刺身は、革命の味。
豊かになった象徴。
それを毎日食う贅沢感……。
これが刺身を買う理由なんでしょう、たぶん。
好みとか以前に、記憶に焼き付いちゃった体験的味覚。
強烈な体験を伴わない美味しさを後で知っても、その体験的味覚でしか味わえないものには及ばない……かもね。
* * *
ってなことを考え、自分にとっての体験的味覚は何かに思いを巡らせてみる。
わかりやすいのは、給食。
給食を食べられるお店とか、そういう体験的味覚の強さからくるもの。
「戦時中のすいとん」も、ある意味においては、そうなのかも。
でもって、自分にとっての刺身はハンバーガーなんだろうなと。
いやね、田舎ってハンバーガー屋ができるのが遅いわけですよ。
「マクドナルド」の日本1号店が銀座にオープンしたのは1971年だけど、地方は20年以上あと……。いや、言いすぎか。
地方における最初のハンバーガー屋って、ドムドムなのよね。
あるいは、ハンバーガー自販機。
ちょっと失礼な言い方になるけど、テレビで見るハンバーガーと比べると、どこかパチモン感があった……。
だから、テレビドラマやアニメで見たハンバーガーが地元に来た時、行ける日は結構な頻度で行ったような気がする。
ハンバーガーは、田舎民にとって“都会に手が届いた気がした体験的味覚”だった。
そんなところかな。
だからって、今も食う頻度が高いかって言ったら、限りなく低い。
月に一回でも食べたら、食べた方になるくらいに。
* * *
上の世代は、どうしてダサいファッションを好むのか……。
それは、着ている本人がナウいと思っているから。
だって、その服が流行った頃から、服を買い替えていないんだもの。
ってな説を思い出し、体験的味覚も似たような話かと思ったけど、違うかな。
そもそも、服は買い替えてるよね。
食材を買いに行ったついでに、その辺に売っている謎ブランドの安い服を……。
だから、ナウいとか関係ない。
その辺にあったから着てるだけ。
オサレな服がどこに売っているかとか、もはや興味が無い世代になれば、情報の更新は行動範囲でしか起こらない。
いつも行く店で、いつも買うものを買い、いつもの道を いつもの時間で行き来する。
この繰り返しが、美味しさの頂点として、刺身をトップに居続けさせるのかも。
別に、好みの問題だからトップでも構わない。
私も、一人暮らしをしている頃に、なんだか無性に食べたい気がして買うこともあった。
ただ、肉類にも言えることだけど、言うほど「旨いかな? あれ」と、今となっては思う。
適当なサイズの肉を買ってきて焼いて食ったところで、食感はモサモサして良いとは思えないし、噛み切りにくいうえに歯の隙間に挟まったり、匂いも微妙で何だかなと。
とはいえ、A5ランクの松坂牛のハンバーグを食ったときは、そういうのなかった。
むしろ、肉なのに、ふわふわしていて、かつ弾力もあるのに驚いたし、ずっと噛んでいたくなる満足感があった。
油を敷かなくても、勝手に中から出るから良い焼き具合になるのも驚いた。
そういうレベルじゃない肉の話。
* * *
結局のところ、毎食 納豆とご飯で構わない人間が思うことでしかない……。
「美味しいものを食べる必要性は無い」が、私の基本。
一方で、必要性がないことをするのも、また人の在り方。
遊びなんて、そう。
ブログを書くのも、そう……。
そして、必要性が無いのに、鮮明に残っている記憶もある。
味に関する記憶も、そのひとつ。
たまに、思い出の味として、勝手に蘇ってきては、「もう一度、食わせろ」と無理なことを言ってくる。
東京にいた頃の食事を今になって思い出すのは、何でかな。
以下は、そのうちのいくつか。
点心拉満 スタミナ飯
タブチ 揚げ物
大盛軒 鉄板焼き
東新宿食堂 定食
信州屋 新宿南口店
お食事処 三福 日替わり定食「〇十」
真っ先に思い出すのは、食べログに載ってない店。
おばちゃんが一人でやっていた定食もある喫茶店。
あの人、元気にしてるだろうか……。