例えば、そう……
「ミソジニーだ!」
「フェミだ!」
こんな感じで、立場の違いで罵倒を繰り返すだけ。
相手の主張なんざ、聞いちゃいない。
法的な問題を指摘しても指摘されても、「攻撃された」「攻撃した」という認識しかないから、問題点で語り合わずに、攻撃のことで頭がいっぱい。
その特徴的なポイントは、レッテル張り。
子どもが、相手の身体的特徴を指摘し、デブだの、ハゲだの言う感じのそれ。
デブなら太っている、ハゲなら髪の毛が無いという見た目の情報に過ぎないのに、さも何らかの能力が決定的に劣っているような言い方をする。
「アイツはデブだからダメだ」
「アイツはハゲだからダメだ」
そんなノリで、ウヨだのパヨだの、ナチだのレイシストだの言う。
ネットにおける見た目的要素だと、アニメ・アイコンがあるだろうか。
アニメのアイコンを使っているという情報だけで、すべてを推し量ってしまう感じの。
アイコンがAなら、他の要素Bも決定するような関連性は、統計的に示されたか?
というモヤモヤを整理したくなったから、メモ。
* * *
問題点があるなら、そこを語り合うべき……。
法的に間違っているか否かが焦点なら、そこを追及すればいいのに、指摘した側の心情を解説してみたり、どちらかサイドの集団傾向を勘ぐってみたり……。
噂話で盛り上がるだけの野次馬みたいなことをするだけの場所に、ネットの言論空間は成り下がっているんじゃないか。
まぁ、それもSNSによって特色があって、数字や法律のワードが出てこないプラットフォームと、そうじゃないプラットフォームがあるのは興味深い。
いや、もしかしたら、出てこないのではなく、出せるレベルにないのでは?
論理的に語れない。
自分が「好き」な方を援護し、「嫌い」な方を下げることしかできない。
客観的に物事を見て、事実を積み上げて、正当性を模索できない……。
* * *
そうか、バカなんだ。
* * *
バカだから、誹謗中傷と事実追及の区別がつかない。
大事なのは敵か味方か。
問題が起きたら、どうすれば自分は責められないか。
“誰のせい”になら、できるか……。
誰かに叱られそうになったら、近くにいる人の名前を大きな声で言い、そっちに怒りの方向を向かわせようとする子どもを思い出す。
そういうタイプ、身近にいるもんで。
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互いの知識を更新し、事実を積み上げて、最適解を得る。
望むべき議論ってのは、所詮は理想でしかないかな。