誰かの慈善活動に対し、「偽善者」という罵声を浴びせる人がいる……。
その気持ちを考えてみたというメモ。
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こういう心理なのでは、ないだろうか。
「誰かが寄附した人を褒める」=「褒められていない自分を感じる」
⇒同じように褒められたいのに、同じことができない鬱屈した思い……
⇒「寄附できない自分を感じる」=「褒められない自分」が惨めになる?
⇒被害妄想が大きくなると「寄附できない自分は、貶されている」と錯覚。
⇒怒りの矛先が「寄附した人」に向かう。
⇒「お前のせいで、俺は嫌な気持ちになった」という理由から。
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流れてきたツイートから。
フェイスブックで見かけた元陰謀論の人の自己反省文、「しっかりと時間をかけて政治や経済や歴史を学んできた人に一発逆転できた(と思った)ときの興奮が未だに忘れなれない」的なことを書いていて、ジャンルや規模の大小はあれど、ある程度の年齢以上の人ならその感情はよく分かると思った。
— おおかみ書房公式/劇画狼 (@gekigavvolf) 2022年3月2日
「何者にもなれなかった自分」との向かい方が、暇な人文系学者の研究テーマとしては、いいんじゃないでしょうかね。
「彼らの心を救うには」から始まり、ふとした瞬間に「これって、俺かも」と思うために。