メモ書き

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誰かを偽善者と罵るのは、何かができない自分を正当化するため

誰かの慈善活動に対し、「偽善者」という罵声を浴びせる人がいる……。
その気持ちを考えてみたというメモ。

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こういう心理なのでは、ないだろうか。

「誰かが寄附した人を褒める」=「褒められていない自分を感じる」
⇒同じように褒められたいのに、同じことができない鬱屈した思い……
⇒「寄附できない自分を感じる」=「褒められない自分」が惨めになる?
⇒被害妄想が大きくなると「寄附できない自分は、貶されている」と錯覚。
⇒怒りの矛先が「寄附した人」に向かう。
⇒「お前のせいで、俺は嫌な気持ちになった」という理由から。


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流れてきたツイートから。

 

「何者にもなれなかった自分」との向かい方が、暇な人文系学者の研究テーマとしては、いいんじゃないでしょうかね。

「彼らの心を救うには」から始まり、ふとした瞬間に「これって、俺かも」と思うために。